井上雅博・ヤフー社長=2008年、堀英治撮影
米国で交通事故に遭い、25日に60歳で亡くなった井上雅博ヤフー前社長は、日本のインターネット時代を切り開いた先駆者だった。先進的なものを貪欲(どんよく)に吸収できたのは、生来の「オタク」的な感性があったからだろう。
ヤフー元社長の井上雅博さん死去 米国で交通事故
東京理科大卒業後、パソコンメーカーの先駆け的存在、ソード電算機システムにプログラマーとして入社。「オタクの巣みたいな会社。変わり者ばかりいて、その中で彼は非常にクールだった」と、元同僚の西久保慎一氏(スカイマーク元社長)は振り返る。ソードの経営が悪化し、東芝の傘下に入った後、井上氏は頭角を現しつつあった孫正義社長率いるソフトバンクの門をたたいた。
最初は契約社員で入社したが、やがて同じ1957年生まれの孫氏に気に入られ、秘書室長として仕える。孫氏が相次いで米国企業を買収していた90年代後半、孫氏と一緒に会いに行ったのがヤフー創業者ジェリー・ヤン氏だった。孫、ヤン両氏は意気投合し、日本法人設立で合意。初代社長こそ孫氏が務めたが、その半年後、井上氏にバトンが渡された。以来、16年間ヤフーの社長を務めた。
根っからのオタクだった。「キング・クリムゾンの『宮殿』。聴いてきたけれど、やっぱりすごいね」。08年にインタビューした際、井上氏はそう切り出した。聞けば「朝、自宅でLPを聴いてきた」とのこと。ロック、ジャズに詳しく、都内のライブハウスによく通った。ヤフーの社長室には1メートル以上の大きなガンダムのフィギュアがあった。ワインの収集は相当なものだったらしい。学生時代は自動車部で、クラシックカーも趣味だった。
そんな井上氏の最大の趣味は孫…