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大火逃れ現存、墨書で確認 愛知の重文「旧鈴木家住宅」

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仏間座敷の部材にあった墨書。「宝暦七 歳四月七日此座敷建同六月天井張」と書かれていた=愛知県豊田市足助町本町


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愛知県豊田市足助町にある国の重要文化財「旧鈴木家住宅」のうちの1棟で、260年前の江戸時代・宝暦7(1757)年に建てられたことを示す墨書が見つかった。一帯の「古い町並み」は、その18年後の大火で焼失したとされていたが、奇跡的に焼け残ったことが証明された。


242年前の大火の跡 豊田・足助の旧鈴木家住宅


旧鈴木家は江戸時代の豪商で、母屋や本座敷、蔵など16棟の建物が残る。市が2022年度までの計画で改修工事をしている。国の重要伝統的建造物群保存地区の古い町並みの中でも、代表的な建物とされている。


市教育委員会文化財課と文化財建造物保存技術協会によると、墨書は先月、母屋の南側に隣接する木造平屋建ての「仏間座敷」(広さ44平方メートル)で見つかった。天井の板を支える棹縁(さおぶち)と呼ばれる幅4センチの部材の一つ。裏側に「半三郎」ら3人の大工の名前とともに、「宝暦7年4月7日この座敷を建て、6月天井を張った」という趣旨の文が書かれていた。大火が起きる18年前だ。


仏間座敷では昨年から今年にかけて、屋根板を支える垂木(たるき)に焼け焦げた跡や、しっくいの壁に付着した大量のススが見つかっていた。「大火で焼け残った可能性が高い」と思われていたが、今回の発見で、旧鈴木家の中で最も古い建物で、大火以前から現存していると確認されたことになる。


地元の「足助村誌」は、1775(安永4)年の安永の大火について「本町と新町が焼失し、2、3戸だけ焼け残った」と記している。現在の古い町並みにある商家や町屋はそれ以後に再建され、旧鈴木家も母屋は大火の翌年の76年に建てられていた。


5月3日、旧鈴木家の改修工事現場を公開する予定でその際、焼け焦げた垂木のほか、墨書の写真も展示する。(臼井昭仁)



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