2012年6月29日、ジャマイカ選手権男子100メートルで敗れ、うつむいて表彰式に向かうボルト
■歴代担当記者がみたボルト
【特集】ウサイン・ボルト
8月4日にロンドンで開幕する世界選手権でラストランを迎える世界最速の男、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)。彼が、ジャマイカ国内で100メートルと200メートルにいずれも敗れた2012年の「珍事」を、朝日新聞は現地で取材していた。負けた明くる日の夜、ボルトがとった行動とは――。
歴代の陸上競技担当のなかでは、レアなボルトの姿を目撃できたかもしれない。
2012年ロンドン五輪を1カ月後に控えたキングストンでのジャマイカ選手権に私は取材に出向いていた。ボルトは100メートルと200メートルで、ともに同じ陸上クラブでトレーニングをするヨハン・ブレーク(ジャマイカ)に敗れた。失格以外で敗れるのは、100メートルでは約2年ぶり、200メートルは約5年ぶりという「珍事」だった。
100メートルで完敗した後の表彰式にはうつむいて向かい、200メートルでも敗れた後は右太ももを押さえて苦悶の表情を浮かべた。多くの人が知る、レゲエのリズムに乗ったレース後のパフォーマンスは、そこにはなかった。
「時々負けるのはいいこと。現実を目の当たりにして、頑張ろうと思える」。200メートルの後のコメントは、いささか負け惜しみにも聞こえた。ボルトほどのスプリンターでも、五輪2大会連続2冠は厳しいのかと感じられた。
200メートルで敗れた翌日だった。「ボルトは全然落ち込んでないみたいだ。本番はロンドンだ、って言っているし」。そう証言してくれたのは、ボルトの親友でレゲエミュージシャンのD Majorだった。
この取材の日の夜、D Majorは3階建てのボルトの自宅に招待されていた。五輪まであまり時間もない上に敗れた直後。それでもパーティーをする。大好きなドミノやテレビゲームに興じるのだという。敗れて落ち込んでいるのだろう、という私の想像は、まったく外れていた。
「伝説になりたい」。それがこのころのボルトの口癖だった。勝って当たり前と見られることによる重圧があるのかと思いきや、「ボルトがプレッシャーを感じているようには見えない。あったとしても彼は無視できるタイプ」。親友の言葉通り、ボルトはロンドン五輪で100メートル、200メートルを制し、伝説となった。
ちなみにボルトは、D Majorが歌う「Real Friends」のミュージックビデオに出演している。歌やダンスが好きなボルトのご機嫌な姿を見られるのだが、親友によれば「歌は下手くそ」。伝説になる人物も何もかもが得意というわけではないらしい。(小田邦彦)