ICANのノーベル平和賞受賞決定を喜ぶ、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の木戸季市・事務局長=6日、米ニューヨーク、金成隆一撮影
「核兵器のない世界を」――。6日、ノーベル平和賞に決まった国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン〉)。国を超えてつながり、思いを訴えようと呼びかけた創設者は、受賞決定に笑顔をみせた。
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■きっかけは、成果なきNPT閉幕
ICAN創設者の一人であるオーストラリア人の医師、ティルマン・ラフさん(62)は6日、メルボルンの自宅で、ノーベル平和賞発表のウェブサイトを見守った。「条約の歴史的な意義と、各国政府と国際機関、市民社会が連携する大切さを認めてもらえた。米国と北朝鮮の間で核危機がエスカレートする中、受賞決定はすべての国々に条約への参加を促す後押しになる」と喜んだ。
ラフさんは、1985年に平和賞を得た核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のメンバーだ。
ICANが生まれたきっかけは2005年、核不拡散条約(NPT)再検討会議が、何の成果もなく閉幕したことだったという。核廃絶への動きが停滞するなか、「これを打ち破る何か新しい取り組みが必要だ」という危機感が核兵器に反対する人々に広がった。
兵器を規制する国際的な動きでは、NGO「地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)」の主導で、1997年に対人地雷全面禁止条約が成立していた。これにヒントを得たラフさんら豪州のメンバーが06年9月、IPPNWの世界大会で核兵器禁止の条約づくりを提案した。この大会に、平和首長会議の会長として訪れていた秋葉忠利広島市長(当時)が協力を表明。平和首長会議が最初の賛同団体になった。取り組みには拠点が必要だと07年4月、メルボルンに事務所を開いた。
取り組みの中で焦点を当てたのは、国際政治や安全保障ではなく、核兵器が人々の健康や社会、環境に多大な被害をもたらす人道的な側面だ。中でも大きな役割を果たしたのは被爆者の訴えだという。「(広島や長崎の)ヒバクシャや(米英仏が太平洋の島国や豪州で行った)核実験の生存者たちのストーリーはいつも、人々の心を動かした」
核の問題は大国の話だと、途上…