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子どもに「プロ棋士になりたい」と言われたら 親の心得

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2018-1-5 14:36:51  点击:  切换到繁體中文

 

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将棋の石田直裕五段=東京・将棋会館、戸田拓撮影


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中学生棋士、藤井聡太四段(15)の活躍に刺激されて、子どもたちの間で将棋がブームです。強くなると「プロになりたい」という夢を抱く子もいるでしょう。もし、自分の子どもが「プロになりたい」と言い出したらどうしますか? 助力は惜しまないが、自分の考えを押しつけることはしない――。そんな両親に見守られ、プロの座を勝ち取った棋士とその母親に話を聞きました。


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2012年9月、石田直裕(なおひろ)五段(29)はプロの座をかけて、最終関門「三段リーグ戦」の最終戦に臨んでいた。必死の思いで勝利をもぎとり、競り合っていた相手が負けて、33人中2位が確定。23歳という遅咲きでの四段昇段(プロ入り)が決まった。


北海道名寄市出身。小学5年の時に学校で将棋がはやり、友達に勝つために地元の人に習い始めた。後にプロになる人の中では極めて遅いスタートだ。大人に勝つのが楽しくてのめり込み、中学1年の時、養成機関「奨励会」の試験を東京で受け、合格。「試験を受ける前の実績は、道内の子ども大会で8強入りした程度。まだ実力不足でしたが、伸び伸び指せたのが良かった」と合格できた理由を振り返る。


しかし、石田さんも家族も、肝心なことを知らなかった。奨励会員は例会での対局に勝って昇級、昇段していく。つまり、例会のため月2回、北海道から東京に通わなければならないのだ。


母の寿子(ひさこ)さん(61)はこう振り返る。「本人が『試験を受けたい』と言うので、観光気分で東京に行ったんです。周りの受験生は子ども大会の優勝経験者ばかりで、驚きました。月に2回の例会があることは、受かってから知りました」


生活は一変した。例会の前日、中学校を早退して2時間かけて車で旭川空港に向かい、飛行機で東京へ。例会後は旭川行きの最終便に間に合わないため、新千歳空港へ。新千歳から名寄までは4時間かかった。


送り迎えをしてくれたのは、自衛官だった父秀一(ひでかず)さん(63)と寿子さん。2人とも将棋は素人だったが、一人息子を応援し続けた。寿子さんは「『大変ですね』とよく言われましたが、あまりそうは感じませんでした。東京に行って帰ってくることだけでも、本人にとっていい経験になると思っていたので」と話す。


石田さんは当初、なかなか勝てず、中学2年の時には入会時の6級から7級に降級する試練も味わった。それでも努力を続け、7級から6級に、そして5級にと昇級。中学卒業後は寿子さんと2人で上京し、都内の高校に進学した。将棋に打ち込むためだった。


高校3年の時には二段になっていた。四段まで「あと二つ」だが、ここからが簡単ではない。


寿子さんは「プロになれる保証はないので、大学には行って欲しいな、と思っていました。大学を出ていれば、どこかに就職できるだろう、と」。数学が得意だった石田さんも自ら進学を志し、自己推薦で中央大理工学部数学科を受験し、合格。寿子さんは名寄に戻り、石田さんは一人暮らしを始めた。


大学2年の時、三段に上がった。三段リーグ戦は、半年かけて18局を戦い、上位2人が四段になれる。初参加の時は9勝9敗。プロの先輩に将棋を教わるなどして腕を磨いたが、成績はなかなか上向かなかった。大学4年になると、周囲の就職活動は本格化。「本当にプロになれるのかな」。焦りが募った。


寿子さんも心配だったが、石田さんの自主性に任せた。「『名寄に帰って就職する道もあるよ』と言ったことはあります。地元の人たちにも期待されていたので、『もう引き返せない』とプレッシャーがかかっているかもしれないと思ったからです。棋士を目指すのを『やめてもいいよ』とは言いましたが、『やめなさい』とは言いませんでした」


大学を卒業した翌年に迎えた8回目のリーグ挑戦で夢をつかんだ。「四段に上がったとわかった瞬間は信じられなかった」。吉報を電話で受けた母も「今回もダメかと思っていた。信じられないような気持ちだった」。親子が口をそろえて「信じられない」と表現するほど、劇的な幕切れだった。


棋士になって5年が経った。若手棋士が参加する「加古川青流戦」で優勝するなどの実績もあげたが、満足はしていない。「棋士は30歳手前がピーク。ここ数年が勝負。(名人戦につながる)順位戦で上のクラスに昇級したい」。そして、こう話す。「両親の支えがなかったら、プロは目指せなかった。感謝してもしきれない」。自分に子どもが生まれたら、夢に向かう取り組みを精いっぱい応援するつもりだ。(村瀬信也)


石田さんとは対照的に、奨励会試験で不合格となった後、アマチュアのままプロ並みの実力を身につけて活躍する強豪もいる。


アマチュアのまま活躍「自分にとって、将棋は」


数々の全国大会で優勝経験がある清水上(しみずがみ)徹さん(37)は、札幌に住んでいた5歳の頃に将棋を覚えた。小学校に入って間もなく、元タイトル保持者の屋敷伸之九段らが輩出した「札幌将棋センター」に通うように。メキメキと腕を上げ、小6の時には、小学生名人戦で優勝した。毎年2千人以上が参加する小学生将棋の最高位を決める大会で、羽生善治竜王らも優勝したことがある。


中1の時、中学生名人戦でも優勝。その直後、東京で奨励会試験を受験した。周囲からは「合格するだろう」と目されており、合格したら家族で関東に引っ越すつもりだった。だが、後にプロになる受験生らに敗れ、不合格となった。「落ち込みました。でも、その時はサッカー部にも入っていて、サッカーも楽しかった」。翌年以降、試験は受けなかった。


将棋から離れた時期もあったが、高校の全国大会でも優勝。明治大に入学後は、社会人や奨励会員とも交流して将棋漬けの日々を送った。学生名人戦優勝を果たし、小中高大の全てで全国優勝するという快挙を成し遂げた。


NECに就職してからも、全国アマ名人戦などで優勝した。09年からは朝日アマ名人を5連覇。同年出場した朝日杯将棋オープン戦では、プロに4連勝して1次予選を突破する快挙を演じた。


現在は、社会人になってからも基準を満たせば、プロへの編入試験を受ける制度がある。だが、それを目指す意思はない。「自分にとって、将棋は楽しむもの。プロを目指すつもりはありません」と言う。一方で、将棋に打ち込んだからこそ、得られたものもある。「将棋を通じて年齢が離れた人とも知り合い、成長できた。このつながりは一生の財産ですね」




 

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