自慢のジャケットの裏地には故郷の北海道から東京までの地図が描かれている=山本和生撮影
めまぐるしく変わる音楽シーンにあって、演歌は根強く息づいている。デビューから半世紀以上にわたって活躍を続ける演歌界の大御所、北島三郎さん(81)に、魅力や今の音楽との関わりについて聞いた。
「生活の歌」歌う大事さ、忘れずにいて
――1962(昭和37)年、「ブンガチャ節」でデビューした当時、演歌という言葉はなかった
昔は流行歌と呼ばれていたんですよ。それが気がつけば演歌と呼ぶようになった。昭和40年代ぐらいだったかな。でも自分が歩んできた道はひとすじの道。一貫して生活の歌を歌ってきたんです。言い換えれば大衆の心を代弁する歌です。
日本は戦争に負けて以降、苦しい時代、貧しい時代が続いた。そんな中で人々は海に出て漁をし、畑で作物を耕して……。そうやって山坂乗り越えてきた。演歌は傷ついた人々や、それぞれの故郷で踏ん張っている人々の心を癒やして励ましてきた。米国のジャズ、フランスのシャンソンのようにね。
――今の音楽シーンに生活の歌はありますか
世界が身近になり、みんな視線は日本の外を向いている。若い子はリズム感が良いし歌もうまい。今の音楽は踊って楽しめること、雰囲気を楽しむことを重視している。それは時代の流れで、もちろん悪いことではない。でも今の音楽だって、元をたどれば流行歌に行き着くんじゃないかな。つらい思いをしている人々に寄り添える「生活の歌」を歌う大事さを、若い人には忘れずにいてほしい。
――ご自身は紅白歌合戦のイメージが根強い。2013年を最後に「卒業」した理由は
昔は、歌い手にとって1年を締めくくる大切なイベントだった。文字どおりの合戦。「おお、俺の相手は彼女か、よーし、負けないぞ」と力が入ったものだった。そんな本気の場を、カメラの向こうの何千万の人々に届けていた。
でも90年代ぐらいからグルー…