運送会社のトラックや路線バスなどの商用車で知られる「いすゞ自動車」。いまや世界有数のトラックメーカーだが、かつては乗用車も手がけていた。個性的なデザインで品質にもこだわった往年のいすゞ製乗用車たち。頑丈な設計と丁寧な整備でいまだ現役の中古車には、根強いファンがいるという。2月中旬に横浜市西区のパシフィコ横浜であったクラシックカーの催し「ノスタルジック2デイズ」(芸文社主催)では、会場に並んだピカピカのいすゞ車が来場者の注目を集めていた。
先進的ながら販売は低迷
1937年創業のいすゞは戦前からの名門メーカーとして、トヨタ自動車や日産自動車とともに国内自動車「御三家」と呼ばれることもあった。53年、英国メーカーと提携したノックダウン生産による中型セダン「ヒルマンミンクス」で乗用車市場に参入。トラックで技術の蓄積があるディーゼルエンジンを乗用車にもいち早く導入したり、提携先である米ゼネラル・モーターズ(GM)傘下の欧州メーカーと車体を共用しながら、21世紀のグローバル企業の世界戦略車を先取りしたような開発手法で小型セダン「ジェミニ」を投入したりするなど、先進的な取り組みで知られた。しかし、価格帯が高い少品種生産にこだわり販売シェアは低迷を続け、93年に自社生産から撤退。細々と続けていたSUV生産やホンダからのOEM供給販売も2002年までに終了し、トラック専業メーカーとして経営再建を図った。
今でも2万台前後が走る
自動車検査登録情報協会によると、いすゞブランドの乗用車の保有台数は、17年3月時点で2万1783台。07年同月は8万3398台だったので、この10年間で6万台超が廃車になり、スクラップになったりしたとみられる。それでも、いまだ2万台前後のいすゞ乗用車が日本の路上を走っている計算で、中には長年乗り続けている熱心なファンも少なくないだろう。
いすゞ車を専門に取り扱う中古車販売店「イスズスポーツ」(東京都羽村市)は、小型セダン「ベレット」、4人乗り高級クーペ「117クーペ」、その後継車「ピアッツァ」の3車種を「ノスタルジック2デイズ」に出展。いずれもすぐに乗り出しが可能な、整備の行き届いたクルマだった。
憧れだった117クーペ
同社営業部の熊木諭巳さんによると、特に人気なのは117クーペ。イタリア人デザイナーのジョルジェット・ジウジアーロ氏がデザインした流麗なデザインが特徴で、「走る芸術品」と称された。1968~81年の生産期間中、初期のハンドメイドから徐々に機械成型による量産化に移行したことでも知られる。ただ、展示車の一台である80年式の最後期モデルでも、ボディーパネルの外から見える部分の継ぎ目をなくすなど、生産を効率化しながらコストダウンを避けた痕跡が垣間見える。作り込んだ分だけ新車価格も高く、当時の若者たちの憧れだった。「今なら買える」と店を訪れる50~60歳代の男性が、現在の主な購入層だという。
当時のいすゞ車は、プラットフォームやエンジンをほとんどの車種で共用し、いずれも頻繁な全面改良をせずロングライフだったこともあり、他メーカーに比べて部品調達の苦労は少ない。乗り出し時にきちんと整備して、消耗品の交換やメンテナンスの時期を把握しておけば日常の足として乗ることも難しくないという。
全塗装の初期型が499万円
イスズスポーツでは、常時20~30台ほどを販売車両として展示。販売に向けてレストア中の仕入れ車両も20~30台前後ある。顧客のオーダーで仕上げにこだわる場合は、レストアの完了まで3年近くかかることもあるという。いすゞ車にまつわる情報があれば全国各地に飛び、現物を見て仕入れる。車体のダメージが大きくて復元を見送り、レストア作業の部品取り用にストックしているドナー車両は約70台にのぼる。
店頭に並ぶまでにかけた手間によって、販売価格もピンきりだ。最新カーナビまで組み込んだ、快適仕様の80年式最終型117クーペは188万円。一方で、ボディーの全塗装やダッシュボード補修、クーラーのリビルドなどを施した70年式の初期型は499万円だ。
熊木さんは「いすゞの乗用車部門が傍流だったからこそ、採算性にとらわれないで作り込んだ個性的なクルマが多かった。大事に乗り継いでいる人も多く、そんなファンのために20~30年後も売り続けたい」と話している。(北林慎也)