平昌五輪の開会式
ライターの田中将介(まさゆき)さん(25)が緊張の面持ちで韓国の地に降り立ったのは、平昌(ピョンチャン)五輪開会式前々日の2月7日だった。手提げかばんに収められた1500人の署名人名簿が、ずしっと重かった。
田中さんは、スポーツについて語り合うことを目的に元アスリートや競技団体関係者、大学教授らによって設立された日本スポーツ学会の運営事務局も担う。
同学会は昨年末から、平昌と2020年東京の五輪・パラリンピック期間中に世界の武力抗争の休戦を求め、スポーツの平和活用を訴える「オリンピック・パラリンピック休戦アピール」の署名活動を行っている。
由来は、大会期間中にギリシャの都市国家間で戦いが停止された古代オリンピックだ。呼びかけ人には、元国連事務次長の明石康さんや、旧ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議した日本が1980年モスクワ五輪をボイコットしたことで幻の代表となった体操選手らが名を連ねている。
国連でも93年以降、大会ごとに五輪休戦決議が採択されるが、同学会で代表理事を務めるノンフィクション作家の長田渚左さんは「お上だけでは効力は薄い。市民の声こそ小さいけど大きい」と語る。
そんな草の根の声があることを知ってもらおうと、田中さんは平昌の大会組織委員会に渡そうとした。郵送は頭になかった。同学会は昨年10月、モスクワ五輪ボイコットの無意味さを問うシンポジウムを開いたが、田中さんにはその運営経験が強烈だった。
「幻の代表の当事者の話がぐさっと刺さった。自分の世代は、五輪が本当に政治に巻き込まれたことを知らない。国連の決議も、選手や市民にその意義がどれだけ知られているか……」
平昌では人づての紹介で手渡せるはずが、先方と連絡すら取れずに帰国。「政治的な問題なので受け取るのは厳しい」というメールが届いたのは、閉幕が近い22日だった。
平和への貢献という五輪の理念に沿う民間の活動が、「政治的」との理由で門前払いされたのは残念だった。
「よくわからない団体の申し出を断る方便だったかもしれない」と田中さん。「五輪を通じて平和を求めるという役割は、日本人も担うべきもの。若い世代の反応はまだ薄いので、東京五輪まで継続することに意味がある」と話している。(編集委員・中小路徹)