インタビューに答える古賀伸明・前連合会長
平成に入って、右肩上がりを前提とした「昭和モデル」は崩れた。低成長時代、数少ない恩恵の奪い合いは、「正社員と非正社員」「製造業と非製造業」といった立場の違う人々の利害対立を浮き彫りにした。
古賀伸明・連合前会長
平成元(1989)年は大きな転換期だった。日経平均株価は年末に過去最高値をつけたが、その後バブル経済が崩壊し、右肩上がりで成長する時代が終わった。経済が成熟し、超少子高齢化が進むなか、昭和の次の時代にどういう社会をつくるのか模索を続けたが、いまだに明確な答えが出せていない。これは、労働界だけでなく、政界も産業界も同じだと思う。
昭和の時代の労働組合は、春闘による賃上げを通じて、経済成長で増えるパイの分配を中心とする運動で求心力が保てた。現在も賃上げが重要であることは言うまでもない。しかし、春闘だけによる求心力の維持は限界だ。春闘があまりにも「ヒット商品」だっただけに、他に主軸になる運動の構築は難しかった。
ベルリンの壁の崩壊も大きかった。労働運動は「資本家が労働者を搾取する」という考え方のもと、労働者が資本家に抵抗することから始まった。時代の変遷とともに、これが「対立」「調和」「参加」と変わっていったが、冷戦の終結がこの流れを決定づけた。
働き方や暮らしを改善するためには、労働者のための政策の実現が必要だと考え、89年に連合が発足した。約800万人だった組合員数を2年で1千万人に増やす目標を掲げたが、現在の組合員数は686万人と逆に減っている。
労組の基本である、仲間を一人でも多く増やそうという取り組みが不足していた。非正社員の増加といった構造変化への対応が遅れた。多くの労組は、(すべての正社員が入社とともに自動的に組合員になる)ユニオンショップ協定を企業と結んでおり、これに甘えてしまった。
日本の労働運動は、企業別に組織された労組を中心に活動してきた。低成長時代に入ると、「我が組織」「我が企業」の存続が優先され、非正社員など弱い立場の人に手をさしのべる余裕がなくなった。どこかでこれを打ち破らないと、社会から労組が置き去りにされかねない。
労働者は一人では弱い。だから互いに助け合う労組が必要だ。「すべての働く人のため」という使命を再認識する必要がある。(聞き手・大日向寛文)
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こが・のぶあき 宮崎大卒。1975年松下電器産業(現パナソニック)に入り、同社労働組合委員長や電機連合委員長などを歴任。2009年に歴代最年少で連合会長(6代目)に就任し、3期6年務めた。66歳。
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