ベンチ前で選手と話す富島の浜田監督(左から3人目)=29日午前、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場、池田良撮影
(29日、選抜高校野球 星稜11―2富島)
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第90回記念選抜高校野球大会第7日の29日、第1試合に登場した富島(宮崎)は甲子園初出場。一時は部員5人と、「存続の危機」にあったが、5年で夢の舞台にたどり着いた。
「甲子園に行くなんて、だれも想像も出来なかった」。富島OBで、5年前に主将を務めていた東(ひがし)知生(ともお)さん(21)は、母校の出場に驚きを隠さない。
前身から数えると創立100年を超す伝統校だが、2012年夏に3年生が引退すると、1年生5人だけが残された。うち2人は野球経験がなかった元美術部員と「帰宅部員」だった。
転機は13年春。赴任してきた浜田登監督(50)は、教職員の前で「3年で九州大会、4年で甲子園に行ってみせます」と宣言した。前任校の宮崎商で甲子園への出場経験はあったが、誰も本気に受け取らなかった。
だが、浜田監督は「純粋に野球が大好きな5人のため」に本気だった。計画的に技術指導に取り組み、14年からは中川大輝主将(3年)の父で、地元のソフトボールチームを指導していた清治さん(48)に技術面のコーチを任せた。ここ一年ほどは、ベースランニングやノックなどで走塁や送球時間を計り、得点やアウトを取るための意識改革を図ってきた。
また、「人間力」も大事にする。正月の休みの間は、部員にうどん店やガソリンスタンドなどでアルバイトをさせた。養ってもらう親の大切さを感じさせるためだ。試合中のガッツポーズは禁止。一喜一憂せず、安定して力を発揮することを優先する。「こころの上に技術がのる」と浜田監督。中川君は「チャンスで緊張して自分の打撃ができなくなるといけないと、監督に鍛えられました」。
チームは15年秋に「3年」で九州大会に出場。昨秋の宮崎県大会では、逆転勝ちを繰り返し、劣勢になっても選手たちが焦らない自信をつけた。九州大会で準優勝を飾り、勢いに乗って甲子園に乗り込んだ。
29日の星稜(石川)との初戦には敗れたが、アルプス席に応援に駆けつけた東さんは「誇らしく、頼もしかった。点差は開いたけど、甲子園に富島の名を残してくれた。夏に戻ってきてくれると信じている」と後輩たちを見つめた。(松本真弥、藤牧幸一)