ぴかぴかに手入れされた愛車と青木登さん=神奈川県鎌倉市雪ノ下
歴史ある観光地ではよく見かける人力車。しかし、神奈川県鎌倉市を走る一台は、ひと味違う。70歳の車夫、青木登さんは34年前の開業以来、「古都の品格を大切に」と客引きを一切しない。「後ろにも目がある」と評される抜群の技術で狭い道でも愛車をふわりと操る姿は、もはや街の風情の一部。今月、その半生をまとめた本も刊行された。
茨城県出身の青木さんは、中学卒業後に集団就職で上京。10年間の工場勤務から婦人服飾の販売業に転じ、好成績を上げたが見合う評価を得られず、独立を決意した。
「資金がかからず、1人でできる仕事」を探し、観光人力車に行き着いた。野球などに打ち込んだ経験から、体力には自信があった。文士や映画スターが暮らす憧れの街で開業しようと、退職4カ月後には鎌倉に転居した。
当時、観光人力車は全国的にもまだ少なかったといい、開業までの道筋も車引きの技術も、すべてが手探りだった。岐阜県・高山で買った中古車が届くと、北鎌倉の円覚寺前で幼稚園に通う園児と母親に乗ってもらい練習した。早朝は筋力トレーニングで体力作り、昼間は町案内ができるように寺社や街中を巡り歩いた。
開業は1984年元日。目立つ人力車に乗ろうという人はなかなか現れない。しかし、客引きはしないと決めていた。「大きな車をとめ、道行く人に声をかけては街に迷惑がかかるでしょう。鎌倉には、そう思わせる雰囲気がありました」
その後、鶴岡八幡宮で挙式する新郎新婦を披露宴会場まで送迎する仕事が入り始め、営業は軌道に乗った。鎌倉出身のラジオ構成作家による「有風亭」という屋号もついた。
忘れがたい客がいる。市内の家族から「余命いくばくもないおばあちゃんに満開の桜を心ゆくまで見せたい」という依頼で、桜並木の下をおばあちゃんを乗せてゆっくり何往復もした。数カ月後、亡くなったと聞いた。「思い出づくりに立ち会えるんです。この仕事を選んで良かった。生涯現役でいようと思いました」
観光人力車は各地に広がり、2…