平成の危機と政官の対応
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平成とは 第2部:国のかたち(4)政と官
政党政治の危機の予兆は平成の初めに出そろっていた。1955年以来続いてきた「自民対社会」の政治体制は冷戦終結とともに崩れた。消費税が始まりバブルが消え、分かつべきは成長のパイから負担へ。自民党単独政権は民意に背かれ、衆参ねじれと連立の時代に突入した。
そして今、公文書のずさんな扱いなどで政と官への不信が募る。だからこそ平成の政治が何を目指し、どこでどうボタンをかけ違えたのかを振り返りたい。
政治改革に向けた理想は二つあった。危機に素早く対処するための内閣機能の強化と、自民党単独政権に代わる受け皿を作るための政界再編だ。1995(平成7)年、阪神大震災に直面した自民、社会、新党さきがけによる自社さ連立の村山富市政権は、その二つの象徴だった。
地震は1月17日午前5時46分に起きた。情報が集まらない。最後は6437人に達した死者・行方不明者について、午前10時過ぎからの閣議前に防災担当の国土庁から首相官邸に届いた情報は「2人」だった。
情報が寸断されていた官邸を支えようと、2人の自民党長老がひそかに動く。まず元首相で当時70歳の竹下登。昼過ぎに「亡くなった人が『500』を超えたぞ。国を挙げて取り組め」と電話を入れた。
【平成とは】
3:平成経済、戦前に酷似 「第2の敗戦」避けるために
5:失われた自信、自賛で穴埋め 「日本スゴイ」海外とズレ
相手は官房副長官で連立政権の…
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