「灰を被ったマグロ漁船第五福竜丸帰港、火傷の傷害を受けた乗組員を診断 水爆症と推定」などと記された1954年3月16日の日記(湯川家提供) 日本人で初めて1949年にノーベル賞を受賞した物理学者、湯川秀樹博士(1907~81)が残した日記のうち、54年の「ビキニ事件」に関連した部分を11日、京都大が公開した。漁船「第五福竜丸」が太平洋で被曝(ひばく)した同事件を機に、湯川博士は核廃絶運動に注力してゆく。当時の経緯が、日記の文面からも裏付けられた。 湯川博士、生涯黙した極秘の原爆研究 にじむ反核の原点 【特集】核といのちを考える 米国の水爆実験で第五福竜丸が被曝したのは54年3月1日。日記では3月16日に「第五福竜丸帰港、火傷の傷害を受けた乗組員を診断 水爆症と推定」との記述が出てくる。 その2週間後の日記には「『毎日』朝刊に『原子力と人類の転機』第一面」とある。この毎日新聞への寄稿文の中で、湯川博士は「原子力と人類の関係は新しい、そしてより一層危険な段階に入った」と書き、強い反核の意思を表明することになる。 9月23日の日記には、乗組員の久保山愛吉さんについて「ビキニ死の灰の被害者」「死去の報あり」と書きとめていた。この日の日記には、新聞記者らが夜おそくまで押しかけたとの記述もある。翌日の朝日新聞夕刊には、核兵器について「禁止の要望が一日も早く実を結ぶよう念願する」とのコメントが載った。 湯川博士は戦時中、京都帝国大の原爆研究に関わっていた。東京工業大の山崎正勝名誉教授(科学史)は「原爆研究への反省もあり、戦後、政治的な発言をせず沈黙を守っていた湯川博士にとって、ビキニ事件は核廃絶運動へ行動を起こす転換点だった」と話す。 核廃絶に向けて湯川博士は具体的な行動を起こす。日記によると4月10日に岡山で講演し、「『原子力と人類の転機』と題して記念講演 聴衆千人」との記載があるほか、12月7日にも「博多 『原子と人間』の講演 聴衆約二千名」など、多くの人々に訴えた博士の足跡が記されている。 湯川博士と親交があり、日記の解読に取り組んだ慶応大の小沼通二(みちじ)名誉教授(理論物理学)は「平和運動に取り組み始めた湯川博士の様子が日記から読み取れる」と話す。 湯川博士の日記は、遺族が京大基礎物理学研究所に寄贈。今回公開されたビキニ事件に関する日記は、同研究所のホームページに掲載される。(石倉徹也) ビキニ事件 1954年3月1日、太平洋のビキニ環礁で、マグロ漁船第五福竜丸が米国の水爆実験に巻き込まれ、乗組員23人が被曝した。3月14日に焼津港に帰港し、半年後に無線長の久保山愛吉さん(当時40)が亡くなった。原水爆禁止運動が広がるきっかけとなった。 翌55年には「核兵器が人類の存続を脅かしている」と訴えるラッセル・アインシュタイン宣言が発表され、湯川博士を含む11人の科学者らが署名した。この宣言を契機に、核廃絶を議論するパグウォッシュ会議が始まった。 |
湯川博士の「転換点」裏付け ビキニ事件関連の日記公開
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