W杯第5戦東京大会で3位に入った杉本怜
2020年東京五輪の新競技、スポーツクライミング。その中の花形種目「ボルダリング」のワールドカップ(W杯、米・コロラド州ベイル)で6月、杉本怜(北海道連盟)が自身2度目となる優勝を飾った。初優勝から5年。苦労を重ねた26歳のクライマーが、目覚ましい復活を遂げた。
今月9日、米コロラド州であったW杯第6戦の男子決勝。4課題中ただ一人三つを完登して優勝を決めると、両腕を突き上げて空を見上げた。「大変な時期もあって。リハビリのことを考えると、本当に長い道のりだったなと思います」
札幌市出身。高校生からW杯を転戦し、13年8月、早大3年の時に初優勝した。「クライミングは大学まで」と決めていたが、悩んだ末にプロになると翻意した。
父は北大で獣医原虫学を研究する教授。その理系の背中にあこがれ、自身も理工学部で応用物理を専攻していただけに、プロクライマーになることには、両親の猛反対に遭った。それでも、人生設計を資料にまとめ、プレゼンテーションして説得した。
だが、ここからクライミング人生は暗転する。14年、試合中に左肩を脱臼。手術をせずに休養して翌年復帰したが、W杯の決勝には一度も残れず、最高8位に終わった。肩の調子は全く上向かず、16年5月に手術に踏み切った。
クライミングが五輪競技に決まったのは、「本当に復帰できるのか不安だった」というリハビリの真っ最中だった。「周りは盛り上がっていて、ちょっと置いていかれてしまっているな、と」
ただ、壁を離れたこの時期に取り組んだ弱点克服策が、後に実を結ぶ。
「絶対に追いついてやるって、体幹や下半身をどんどん強化していった」。以前は勢いのある攻撃的な登り方が売りだったが、今は違う。体の軸が安定したことで、「着実な力がついた。正しい動きでしっかり登る。強さは、確かに前よりも向上したと思います」。
新たなスタイルで挑んだ昨季は、W杯第6戦インド大会で2位に。復活の足がかりをつかむと、今季は第4戦中国大会で4位、第5戦東京大会で3位。確実に調子を上げて、このほど、米国で5年ぶりの優勝をさらった。
「我々の牽引(けんいん)役だった彼が良い結果を残してくれたのは、チーム全体の士気が本当に高まりました」とは、日本代表の安井博志ヘッドコーチだ。
現在、W杯ランキング3位。8月にある最終戦、ドイツ大会の結果次第では年間優勝にも手が届く位置だ。そして、視線の先には東京五輪がある。
「ボルダリングはイメージにだいぶ近づいてきた。リードもスピードもレベルアップして、出場を目指したい」。確かな復活の手応えに、自信をにじませた。(吉永岳央)