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「怪物・江川」の残像 元広島の達川・大野「格が違う」

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2018-6-23 19:10:06  点击:  切换到繁體中文

 

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達川光男さん(左)と大野豊さん=福岡市中央区、長沢幹城撮影


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プロ野球では巨人がV9を果たした1973年。日本中の高校球児たちの視線が、作新学院(栃木)の剛腕・江川卓に向けられていた。全国制覇した広島商の達川光男、甲子園と無縁だった出雲商(島根)の大野豊。後に広島でバッテリーを組んだ2人も、「怪物」と呼ばれた右腕の残像が、今も頭から離れない。(敬称略)


過去最多700試合をライブ中継 バーチャル高校野球で全試合中継の大会も


夏の甲子園、歴代最高の試合は? 投票ベストゲーム


同世代トーク 1955年度生まれ


達川 (高3の)夏の大会の前に、大野の学校(出雲商)とやったよな、練習試合を。


大野 うちの学校、そんなに強いチームじゃなくて予算もなかったから、県外遠征は初めてで。その中で広島商とやった。0―5くらいで負けたと思う。


達川 そうそう、たぶんそのくらい。


大野 僕が投げたけど、やっぱり5点以上取られたイメージ。で、また点が取れない。力の差は、もろに出たよね。僕は球は速かったけど、やっぱりコントロール。強いチームには通用しない。


達川 出雲商とやった時、(広島商の)二塁手と中堅手が、ボールを追ってぶつかって救急車で運ばれた。だから、やったのは覚えている。大野は、だから、その、勢いのあるね……。


大野 覚えてないだろ。(話を)作らんでいいからな。最後の夏は、安来(やすぎ)高に1回戦負けだった。達川は甲子園で最後まで行っているチーム。すごい差。


達川 春の選抜大会、偶然に準優勝したもんでね。夏は「出て当たり前」っていうプレッシャーをかけられていて、地方大会が苦しかった。「なんでこんなに苦しまなきゃいけんのかな」っていうくらい。やっぱり、夏の大会は別物。相手も高校生だけど、僕らも高校生というのを痛感した。


大野 (広島商は)唯一の県外遠征で練習試合をしたチーム。注目していたよ。


達川 甲子園はもうね、言い方は悪いけど「いつ負けてもいい」という感じ。全国優勝したい気持ちはあったけど、そこまで執着はしていなかった。


大野 僕が商業に進んだのは、就職に役立つということで。だから、野球がどうとか、プロを目指すとか、そういうのは全く。簿記やソロバンをやっておけば、先々役立つ。学校が甲子園を目指しているとか、強いとかいうのは全然置いておいて。だから、たぶん達川とはだいぶ違う。


達川 いや、同じようなもん。家がちょっと5人兄弟で貧しかったもんで、親がなるべく「公立に行ってくれ」というような。あのね、(広島商は)レベルは大したことなかったけど、厳しさはちょっと想像を絶する……。今ではちょっと言えないような出来事がたくさんあったよ。もう、それはビックリした。


大野 達川が言えないようなことは、チラチラ聞いたことはある。ただ、僕らが練習試合に行った時、礼儀というかあいさつがすごくできるチームだと思った。感心した。ピシッと並んでね、そろって頭を下げる。本当に教育されているな、と。


達川 自主的にやってないから、身についてない。やっぱり自主的にやらないと。


大野 勝てなかったけど、僕らも3年間、練習だけはしっかりやったなというのはある。


達川 大野が江川を知ったのはいつ? やっぱり春の選抜?


大野 甲子園で投げているのをテレビで見た時。これ高校生じゃない、と。本当に「怪物」。あんなボール、高校生じゃ打てないというすごい球を投げていた。


達川 高校2年の秋の中国大会が終わって「栃木にすごいのがおるぞ」と監督に訳の分からん練習をさせられた。無死、または1死二、三塁でスクイズ失敗という。「下手に当てたらフライになってゲッツーになるから、空振りせい」って。三塁走者が挟まれてタッチアウトになる間に、二塁走者が追い越す作戦ですよ。スピードガンはなかったから、「そんな速いやつおるわけない」と思いながら。初めて江川を見たのは、選抜大会開幕戦の北陽(大阪)との試合前のブルペン投球。びっくりした。球が速くて「ワシら、何しにきたんか」という感じ。打席では、「思ったより大したことないな」という感じがしたんだけど、その時は寝違えとったらしいですよ。プロに入って話をしたけど、「お前には一球も全力で投げたことない」って言われた。50%くらいの力じゃなかったか、おそらく。大したことない言うても、大したことあった。全然、話にならん。(準決勝で)なんで勝てたかいうのは、もう後付け。クルクル回りよったよ、みんな。


大野 彼は独特。普通は腕を振り抜くけど、押し出すような感じ。プロで投げ合ったけど、体はでかいし、ボールを離すタイミングがすごく近くに感じる。あの頃の方がプロに入ってからより速かったんじゃないか。格が違う。(自分は)比較対象にならない。


達川 江川は2ボールからでも、カーブでストライクを取ってきよった。ここ一番は、真っすぐでドーンとねじ伏せる。


大野 体全体で投げ込む感じじゃなくて、楽にいってボーンっと来る。松坂(中日)やマー君(田中=ヤンキース)、ダルビッシュ(カブス)とかいるけど、やっぱりインパクトは江川。確かに質から見れば、江川以上の投手もいたかもしれないけど、江川の高校時代の投球っていうのは群を抜いていたイメージ。


達川 (69年選手権準優勝投手の)太田幸司さん(三沢)を見た時に「すごいなー」と思ったけど、江川は「それ以上の人がおったわ」と。


大野 プロでも彼のボールは確かに良かった。けど、どうしても高校時代が頭から離れない。当時の速さはすごかった。それくらい衝撃的だった。


達川 彼は「高校2年がピークだ」って言ってるから。大野は一応、(プロでは)彼の記録は抜いた。ただそうは言っても、僕らは「江川世代」だね。たくさん良い投手がおって、捕手も豊作。江川のおかげだと思う。「江川を打ち崩さない限り、日本一にはなれんな」というのが合言葉で。それまでサボることしか考えてなかったけど、ノルマより500回余分にバットを振ったり、鉄の棒で打撃練習したり。打倒江川。一対一の勝負ができるよう、高校生なりに考えた。


大野 結局はかなわない目標、夢でありながらも、「甲子園を目指そう」という思いでやった。


達川 まあ本当に、一つ目標に向かって無我夢中にやったというだけ。一生懸命やれば、それだけでいいんじゃないですか。あとは何もないよね、大野さん。


大野 ないね。(構成=吉永岳央)



1955年度生まれの高校球児


遠藤一彦(学法石川、元大洋)▽掛布雅之(習志野、元阪神)▽北村晴男(長野、弁護士)▽河埜敬幸(八幡浜工、元ダイエー)▽佃正樹(広島商、元三菱重工広島)▽袴田英利(静岡県自動車工、元ロッテ)▽平野謙(犬山、元中日)▽深沢恵雄(峡南、元ロッテ)▽古屋英夫(木更津中央、元日本ハム)▽馬淵史郎(三瓶、明徳義塾監督)▽山倉和博(東邦、元巨人)▽山根和夫(勝山、元広島)▽山村善則(大鉄、元ダイエー)



たつかわ・みつお 広島商で3年春に甲子園準優勝、夏に優勝。東洋大から広島入り。捕手としてベストナイン、ゴールデングラブ賞各3回。1992年に引退、現在ソフトバンクヘッドコーチ。



おおの・ゆたか 島根・出雲商では甲子園出場経験なし。出雲信用組合の軟式野球部を経て、1977年にドラフト外で広島入り。98年引退。通算148勝100敗138セーブ。野球解説者。




 

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