北海道日本ハムファイターズの中島選手(右)と近藤選手。球児たちに「練習の成果を出し切って」とエールを送った=2018年6月13日、札幌ドーム、白井伸洋撮影
第100回全国高校野球選手権記念南・北北海道大会は23日、4地区で開幕、残る6地区も27日までに次々と始まる。北海道日本ハムファイターズの中島卓也選手と近藤健介選手に高校野球について語ってもらった。
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――高校時代の3年間はどうでしたか。
中島 毎日きつい練習。でも、甲子園での優勝を目指して、みんなで耐えられました。仲間と大好きな野球ができたのはいい思い出です。
近藤 横浜高校は野球がうまくて我が強い選手が多い。主将の時には同じ方向を向いてもらうのが大変でした。同じ目標に向かって競い合いながら乗り切ったのはいい経験でした。
――当時のチームメートはどんな存在ですか。
中島 クラスも通学路も同じ仲間がいて家族よりも過ごす時間が長かった。今も年に1回は集まります。
近藤 つらい練習を乗り越えた仲間は互いのことが分かる存在です。これからも変わらないですね。
――中島選手は三嶋一輝投手(DeNA)、近藤選手は乙坂智選手(同)が当時のチームメート。プロ野球に進んだ仲間はどんな存在ですか。
中島 互いに活躍したいと思います。あいつが頑張っているから、僕も、というライバル意識もあります。
近藤 ずっと一緒に夢を追いかけてきた仲間ですね。今も交流戦などで会うと話すこともあります。
――高校時代で一番うれしかったことは。
中島 高校3年の春季九州地区大会での優勝です。気負いもなく、勝ち進んでいくうちに、チームがひとつになって自信がついた。
近藤 高校3年で甲子園出場を決めた時ですね。でも、悔しかったことの方が多かった気もします。
――2人にとって「最後の夏」はどんな夏ですか。
中島 春季で優勝してチャンスはあった。「このチームなら」という自信もあったので。(5回戦で負けて)福岡大会で終わってしまいましたが、甲子園に行きたかった。でも、帰りのバスはみんな笑っていました。解放感もありました。
近藤 横浜高校なので、正直、すぐに甲子園に出られると思ってたんですけど、なかなか出場できず重圧もありました。夏は甲子園でアピールしてプロにも行きたかったので、なんとしてでもという思いがありました。
――2人が目指した甲子園とはどのような場所だったのでしょうか。
近藤 あんまりいい思い出がないですね(笑)。春の選抜はすぐ負けたし、夏は大逆転負け。でも、あそこに高校生として立つのは難しいことなので、それができたのはよかった。
中島 高校時代は行けなかったのでわかりませんが、行ってみたかったです。プロになって行った時は阪神タイガースの応援がすごかった(笑)。
――道内の高校球児たちの中には卒業後、故郷を離れる選手もいます。地元を離れて戦う2人からアドバイスを。
中島 もともと地元を出たくなかったので、離れていく勇気はすごい。今、こうして地元を離れたからこそ見える景色もいいなと思います。不安も多いけど怖がらないでほしい。
近藤 自分の夢に向かって挑戦した方がいい。やりたいことを思い切ってやってほしいですね。
――100回大会に挑む球児たちにエールを。
中島 100回だからというわけではないけど、記念の大会なので、甲子園を目指して頑張ってほしい。
近藤 100回大会で甲子園を目指せる3年生はうらやましい。悔いの残らないように、つらい練習をしてきた成果を出し切ってほしいです。(聞き手・今泉奏)
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なかしま・たくや 1991年生まれ。福岡県出身。右投げ左打ち。福岡工業高校時代に俊足巧打で堅守の遊撃手として活躍。2008年秋のドラフト5位で日本ハムへ。15年に最多盗塁とベストナインを獲得。今季は選手会長に就任しチームを引っ張る。
こんどう・けんすけ 1993年生まれ。千葉県出身。右投げ左打ち。横浜高校時代は強肩強打の捕手として活躍し、2011年に春、夏の甲子園に出場。同年秋のドラフト4位で日本ハムへ。昨季は規定打席に届かなかったものの打率4割超を記録。今季も打線の中軸を担う。