同志社大教授 大島佳代子さん
校則の問題が改めて注目されたのは2017年9月、大阪の府立高校の女子生徒が生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう指導され、不登校になったとして府を訴えたのがきっかけでした。ネット上で理不尽な校則や合理性がない指導は「ブラック校則」と名付けられ、NPO法人の理事長らが「ブラック校則をなくそう!プロジェクト」を立ち上げました。
1980年前後に校内暴力が社会問題化すると、校則も厳罰化されました。一方で、校則で丸刈りを強制するのは憲法違反だと生徒が訴えた「丸刈り訴訟」などが起き、80年代後半には文部省(当時)も中学、高校に行きすぎた校則の見直しを求めました。しかし今回のプロジェクトには「カーディガン禁止」や「下着は白」「スカートの丈は何センチ」といった類いの「ブラック校則」の例が寄せられました。
こうした、おかしな校則が見直されないまま残っているのはなぜでしょう。一つには、中学も高校も3年間という短い在学期間なので、生徒や保護者の側が「おかしい」と声を上げるより、我慢した方がいいと考えている例が多いからかもしれません。大学進学は推薦入学者の割合が増えていますし、進学や就職にとって学校の評価も重要でしょう。異を唱えて目立つと、こうした機会に不利益を被ると恐れても不思議ではありません。
また70年代後半に全国に広まったバイク「3ない運動」(免許を取らない、乗らない、買わない)は、「危ないからバイクを禁止してほしい」という一部の親の熱意が支えていた面もありました。
人が集まればルールは必要で、校則がない方がいいとは言えません。けれども校則だからといって、何を決めてもよいわけでもありません。校則問題が難しいのは、一口に校則といっても、「あいさつは大声で」「自転車通学にはヘルメット着用」といったものから「染髪パーマ禁止」といったものまで内容はさまざまで、その法的性格や権利侵害の程度をひとくくりにして語ることができないからです。
まずは、何が「ブラック校則」なのかを見つけ出さなくてはなりません。そのためには、一つ一つのルールの合理性や必要性を考える必要があります。例えば、「染髪パーマ禁止」というルールが「学校の評判のため」だという主張には合理性があるでしょうか。そこには「黒髪で直毛の子はまじめ」という、偏見や思い込みが隠れていないでしょうか。
ルール自体の合理性や必要性と…