住み慣れた地を離れた直後に認知症と診断された、京都府宇治市の伊藤俊彦さん。病気を機に、新しく知ったものがあるといいます。
【特集】認知症とともに
【特集】介護とわたしたち
認知症とともに 本人の思い:6
認知症の人が自らの言葉で胸のうちを語る「本人の思い」。特集「認知症とともに」の連載で、原則月1回配信しています。
《生まれ育った北海道から、娘が暮らす宇治市へ。妻の元子さん(72)とともに転居した2カ月後、アルツハイマー型認知症と診断された。6年半前のことだ》
孫を産んですぐの長女(45)が「子育てを手伝って」と頼ってきたんです。鉱物学が専門の大学教授を定年でやめ、その後の仕事も一段落したこともあって、近くのマンションを借りて住み始めました。
病院に行ったのは、こっち(横に座る元子さん)を安心させるため。買い物を済ませたのに「買ったか?」と尋ねる、なんてことがあって不安だったそうです。安心するなら受けてやる、といった感じでした。
ところが認知症とわかって。積もった雪の上に、後ろ向きで飛び降りるような気持ちでした。下に何が隠れているのかわからないから、怖い。ショックはありました。
《診断の8カ月後、主治医の勧めで認知症の当事者や家族が集う硬式テニス教室に参加した》
軟式は経験あるけれど、としぶったのは、自分を認知症と認めたくない言い訳だったのかもしれません。
でも、加わってよかった。毎回5、6組が参加するのですが、どちらかが認知症というご夫婦がほとんど。同世代で、同じ病気と向き合う方たちとの居心地のいい場です。病気を通じてではありますが、新しい土地で、新しい人間関係を知り、大切なものができた。幸運でした。
《認知症を公にして、講演や取材の求めに積極的に応えている》
認知症であることは、娘はもちろん、遠くにいる息子にもすぐに伝えました。親の状況を知らない方が不安でしょう。公表に抵抗もありません。伝えることで役立ちたい。
3年前から、当事者の仲間たちと、茶摘みや万願寺唐辛子の収穫を楽しんでいます。報酬のある社会参加です。「何もできない人」という認知症への偏見を少なくするアピールでもあるんです。最初は緊張してね。散歩中に木を見て「ここはこう摘む、あちらは摘んではいけない」とシミュレーションまでしました。
診断されたとき、認知症は「忘れていく病気」だと考えて、(元子さんに)「おれの人生を預けた」と。へそくりの通帳まで預けてしまいました。でも、急激に悪くはならないし、困っていることもない。というより、困らないように努力しています。物は決めた場所に置く。出かけるときは行き先を伝える。備えることを癖にしています。
認知症は大変な病だと受け止められがちですが、病気だって人それぞれ。意外と楽しくやっている人もいることを知ってほしいです。
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