競技歴わずか1年。これまでのパラスポーツの常識を覆す速さでアジア王者となった義足スプリンターがいる。アジアパラ大会の陸上男子100メートル(義足など)で優勝した井谷俊介(23)=ネッツトヨタ東京=だ。パラ陸上では練習場や指導者が不足し、義足も高価。若手が挑戦しづらい環境がそろっているが、井谷はそのすべてとライバルにも恵まれ、一気に頂点に登り詰めた。
始まりは自らが書いた一枚の企画書だった。2016年2月、バイク事故で右足を失った。三重・津田学園高では野球に打ち込み、大学では大好きだったカートレースに参加していた。
その縁で、レーシングチームを持つネッツ東京に、東京パラリンピックに出ることとカーレーサーになることの二つの夢を持ち込んだ。評価されて、支援が決定。部品を含めると100万円を超えるアイスランド製の競技用義足が提供された。「陸上をやったことのない選手にお金を出してくれた。結果で恩返しするしかなかった」と井谷。さらに山県亮太や福島千里(いずれもセイコー)を指導する仲田健トレーナーとの出会いも選手の能力を早く引き出させた。
今年1月から神奈川の練習場を拠点に本格練習が始まった。追い求めたのは義足の使い方ではなく、地面からの反力をどう足でうけるか。井谷の前には、常にまぶしい存在の先輩義足スプリンターがいた。当時のアジア記録保持者で競技歴13年の佐藤圭太(27)=トヨタ自動車=だ。今年9月の日本選手権で佐藤と0秒02差の2位。悔しさとともに手応えもつかんだ。そして、迎えたこのアジアの舞台。結果を出した。
100メートル決勝。井谷は後半にグッと伸び、先頭でゴールを駆け抜けた。11秒75。予選で自らがたたき出した11秒70のアジア記録のさらなる更新はできなかったが、2本とも好記録を並べた。井谷が「佐藤さんとどう勝負するかを意識してきた。越えなければならない壁だった」と言えば、0秒07差の2位に終わった佐藤は井谷の急成長ぶりに、「これからずっと意識することになる」と話した。
2人の目標は東京大会での活躍だ。16年リオ大会の決勝進出タイムは11秒26。世界との距離はまだある。ゆっくりと着実に歩みを進めてきた佐藤と、恵まれた環境下で一気に才能を開花させた井谷。2人が切磋琢磨(せっさたくま)していけば、五輪の日本選手よりも先に、決勝の舞台に到達するかもしれない。(榊原一生)