1985年夏、甲子園で熱戦を続けていたPL学園高校の野球部から、日航ジャンボ機墜落事故で次男(当時9)を失った遺族の元に荷物が届いた。選手たちが署名した色紙や同部の野球帽、ベンチに飾る千羽鶴……。そこに手紙が添えられていた。33年を経たこの秋、手紙の送り主と遺族が初めて対面した。
御巣鷹取材後、握れなくなったペン 再び記すまで33年
受け取ったのは、東京都大田区の美谷島(みやじま)善昭さん(71)、邦子さん(71)夫妻。次男の健ちゃんは野球が大好きだった。85年8月12日、近鉄バファローズの野球帽をかぶり、阪神甲子園球場でPL学園を応援するのを楽しみに、ジャンボ機に搭乗した。初めての一人旅だった。
夫妻は33年間、手紙を大切に保管してきた。手紙には、こうある。
「私達(わたしたち)は、健ちゃんの御霊(みたま)がPL学園野球部を守っていて下さると信じ、全力を尽くして戦います。それがまた、御霊をお慰めまつることになると信じます」
したためたのは当時、野球部長…