平成の終盤は、スマホが急速に普及し、暮らしと市場を一変させた時代だった。携帯大手や日本メーカーは必死で対応。最前線での取材競争も、ジェットコースターに乗っているようだった。
盟主は苦しんでいた
東京・霞が関の総務省ロビーにあるコーヒーショップで同僚と落ち合ったのは2013年3月のことだ。総務省記者クラブ詰めとして通信業界の担当を4月に引き継ぐ。用意してくれていた「主な課題」の1行目は「NTTドコモからのiPhone(アイフォーン)発売」だった。
「ガラケー」と呼ばれた従来型の携帯電話からスマートフォンへの切り替えが進んでいた。主役は2007年に米アップルが発表したiPhone。ソフトバンクモバイル(現ソフトバンク)は翌年、社長の孫正義(61)の人脈を生かしてラインナップに加え、KDDI(au)が11年に続いた。
平成の始まりと相前後して、旧電電公社が独占していた通信事業の規制緩和が進んだ。00年には携帯など移動電話の契約が固定電話を上回り、競争が激化した。電電公社の流れをくみ、端末づくりなどで電機メーカーと二人三脚で歩んだ盟主ドコモはiPhoneの取り扱いで後手に回った。
契約の純増数は12年、ソフトバンクが5年連続トップとなり、auも前年より4割以上増えた。逆にドコモは4割以上の減。番号を変えずに携帯会社を移る「番号持ち運び制度(MNP)」のもと契約者を奪われて苦しんでいた。
ゲーム、買い物、調べ物。暮らしを変えていくスマホ、しかもドコモのネタで後れを取れば、「先輩に『抜かれポンチやないか』と笑われるな」。重い気分で担当になって1カ月。ドコモの「夏商戦」の発表を5月に取材した。
打ち出されたのは、ソニー「エクスペリア」と韓国サムスン電子「ギャラクシー」のスマホ2機種に広告や販促を集中させる「ツートップ戦略」。主役iPhoneの発売ではなく、追撃策だった。
ただしNTTグループ全体の戦略を定める持ち株会社は「自前主義の見直し」を明確にしていた。アップルが主導権を握りがちなiPhoneとはいえ、「いつドコモが発売するか」を追う態勢づくりを迫られた。=敬称略
「絶対にマル秘だった」
苦戦を強いられていたNTTドコモが米アップルのiPhone(アイフォーン)をいつ導入して巻き返しに動くか。2013年春に通信業界の担当になった私は、アップルが例年秋に開く新型機の発表会が勝負どころだと見定めた。
記者会見や、その後の「ぶら下…