1945年9月3日は中国人にとって永遠に忘れられない日だ。14年もの間、血みどろになって奮戦し、中国の人民が抗日戦争において偉大な勝利を収めた日だからだ。この日は、世界の反ファシズム戦争の完全勝利が宣言された日だ。新華網が報じた。
それから75年が経ち、戦争の硝煙はすでに消え去り、75年間にわたって、中国の人民は奮闘し続け、戦火が飛び交い、国家の危機に直面していた旧時代から、美しく幸せな新時代へと歩みを進めてきた。波乱に満ち、苦難の連続だったこれらの時代の経験が、依然として中国人が前進し続ける力となっている。
上の写真は1931年の「九一八事変」(満州事変)の翌日朝、瀋陽の外攘門の上から中国の軍隊を攻撃する旧日本軍兵士。
下の写真は白い団地の横を走る高速列車(2015年撮影)。専門家によると、この白い団地が立つ場所は、「九一八事変」前に旧日本軍が爆弾を埋めていた南満鉄道の柳条湖区間にあたるという。
上の写真は「七七事変」(盧溝橋事件)後、盧溝橋を占領した旧日本軍。
下の写真は2015年6月に撮影された青空の下の北京の盧溝橋。
上の写真は1937年12月中旬、中国南京を旧日本軍が侵略した後、未曾有の非人道的な大虐殺を行った旧日本軍の兵士。旧日本軍に殺害された中国人の死体が、南京城西に流れる長江のほとり一面に転がっている。
下の写真はドローンで撮影した南京の夜景(2019年撮影)。
上の写真は1935年12月9日に北京で起こった学生運動「一二·九運動」で、軍隊や警察に阻まれ西直門の中に入れず、外で抗日演説をする大学生ら。
下の写真は「一二·九」学生愛国運動を記念して天津南開大学で開催された長距離リレーイベント(2013年撮影)。
上の写真は抗戦時の延安城。
下の写真は2019年の延安。同年、革命聖地は絶対的貧困から脱却した。
上の写真は防衛のために追撃砲を打つ中国の兵士。1938年6月12日から10月27日まで、旧日本軍は武漢作戦を展開した。
下の写真は2020年4月13日に撮影されたライトアップされた武漢の長江大橋。
上の写真は1938年4月上旬、台児荘で旧日本軍と激しい市街戦を戦った中国の兵士。
下の写真は、現在の山東省棗荘の台児荘古城。夜になるとライトアップされ多くの観光客で賑わう。
上の写真は1937年9月25日、抗日戦が始まって以降、初めて重要な勝利を収めた中国共産党率いる人民軍の軍隊。この勝利は「平型関大勝利」と呼ばれている。平型関での戦いで、第115師団は機関銃を配置した。
下の写真は「平型関大勝利」の旧跡に建てられた「平型関大勝利」紀念館。
上の写真は上海閘北区の円形の塹壕の中で旧日本軍と市街戦で闘う中国軍88師団。1937年8月13日から11月12日までの中国軍と旧日本軍の軍事衝突は「第二次上海事変」と呼ばれ、この戦いにより日本の軍国主義者の速戦即決の夢は粉砕された。
下の写真は2017年5月14日に上空から撮影された上海陸家嘴。
上の写真は山西省獅堖山で繰り広げられた激戦で、機関銃で攻撃する八路軍の兵士。1940年8月、華北一帯を占領下に置いていた旧日本軍に八路軍は「百団大戦」と呼ばれる大規模攻撃を仕掛け、3ヶ月半に及ぶ激戦の末、旧日本軍に深刻な打撃を加えた。
下の写真は2015年9月3日に北京で開催された中国人民抗日戦争・世界の反ファシズム戦争勝利70周年紀念大会の閲兵式で行進する百団大戦「白刃格闘英雄連」英模部隊の兵士。
人々の胸に刻まれているこうした苦難に満ちた時代を乗り越えて復興したことを示す歴史的な写真の数々は、「平和を手に入れることはたやすくない。歴史を銘記し、これからも強くなり続けるべきだ」という無言のエールを送り続けているといえよう。(編集KN)
「人民網日本語版」2020年9月4日