9千人以上が亡くなったネパール大地震の被災地で、ヒマラヤ山脈のトレッキングガイドをしている大津市の浅原明男さん(41)が被災者の支援活動を続けている。被害実態の把握が進んでいない山岳地域に行き、被災状況や必要な物資などの情報をネパール政府に伝えている。
きっかけは現地の友人からのインターネットを通じたメッセージだった。「村が埋まった。助けてくれ」。地震発生日の4月25日、首都カトマンズの北約30キロ、標高3300メートルに位置するランタン村が、幅約1キロにわたって崩れた氷河や土砂にのみ込まれ、村人約400人の半数近くが亡くなった。
浅原さんは自然地理学を学んだ大学時代、旅行で訪れたランタン村の人や風景に魅了され、卒論を書くために約1年間滞在した。約10年前にトレッキングガイドを始めてからも毎年訪れ、「村人一人ひとりの顔が目に浮かぶ」というほど思い出深い土地だ。
「今行かなくていつ行くのか」。5月中旬に現地入りしてランタン村を目指した。道の4カ所で土砂が崩れ、通常は2日間の道のりが、1週間かかってもたどり着けなかった。ようやく全景を見下ろせる場所に出たが、村は跡形もなく、浅原さんは言葉を失った。
ネパール政府関係者の要請もあり、8月中旬までに2回、車が入れない山岳地域で被災した村々の調査と支援に向かった。同政府に報告して救援部隊派遣を要請し、山あいに取り残された人を救助したほか、食料や衣料品、小型ソーラーパネルなどの物資を届けた。
「お世話になった人たちがいた国。ネパールがなければ今の私はいない」。日本に一時帰国した7月には支援の輪を広げるため、静岡市でボランティア希望者などを対象に被災した村々の現状について講演した。
「この状況でもネパール人は元気。自ら復興に精を出せるよう手助けしたい」。そう意気込む浅原さんは8月19日、再び現地へ飛び立った。〔共同〕