日本代表に復帰した福沢達哉
バレーボールの男子日本代表に、2008年の北京五輪に出場した福沢達哉が返り咲いた。ブラジルのプロリーグでプレーした29歳。リオデジャネイロ五輪の出場権を勝ち取るために自らの経験を代表の若手選手に伝え、5月末に始まる五輪世界最終予選の突破を目指す。
昨夏、プレミアリーグのパナソニックから、ブラジル・スーパーリーグのマリンガにレンタル移籍した。ロンドン五輪出場を逃し、リオ五輪を目指すためにもレベルの高いリーグでプレーを磨きたかった。そこに待っていたのはカルチャーショック。「バレーボールに対する覚悟を見つめ直させられる挑戦になった」
日本では週末に試合があり、月曜日は練習がオフになるなどサイクルが一定で調整しやすい。しかし、ブラジルは日程にバラツキがあり、国土が広いため遠征も過酷だった。飛行機を3便乗り継いで約9時間かけて移動したことや、日付が変わった未明に出発してその晩に試合をすることもあった。
練習も日本のスタイルとは違い、常に6対6の試合形式で行われた。毎日、50~60本のスパイクを打つなど、本場のやり方に慣れるまでは疲労との戦いだった。日本ではエースでも、地球の裏側では先発を外されることもしばしば。「ブラジルは結果がすべてのシビアな世界」と痛感した。
日本に戻った今、ブラジルで思い知ったバレーへの覚悟を代表チームで示したいと考えている。代表を離れていた間、大学の後輩でもある石川祐希(20)=中大3年=や柳田将洋(23)=サントリー=ら若手が台頭した。福沢も北京五輪に出場したのは中大4年の22歳の時。当時主将だった荻野正二は、先発出場することは少なかったものの、若手をのびのびプレーさせてくれ、少ない出場機会でも結果を残した。その姿に現在の自分の役割を重ねる。
今の代表チームには五輪世界最終予選が初めての選手も多い。「荻野さんは僕たちとは違う覚悟をもってやっていたと思う。自分もそんな選手になることがチームにとってプラスになる」。自ら引っ張り、リオ行きの切符を手にする決意だ。(能田英二)