河添由実さん=河添敏明さん提供
ジャニーズのアイドルが大好きだった。熊本県益城町福原の河添由実さん(28)は16日午前、崩れた自宅から遺体で見つかった。「チケットが取れたら一緒にコンサート行こうね」。3日前に母登志子さん(57)と約束したばかりだった。
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5人家族。14日夜の地震の後、家から布団を出して、庭に止めた車4台に分かれて一夜を過ごした。翌15日も、登志子さんと祖母は、車内で過ごした。
電気が復旧したこともあり、父敏明さん(61)と兄は2階に、由実さんは1階で眠った。そこへ16日未明の激しい揺れが襲った。
押し潰された1階。登志子さんは夢中でがれきをかきわけた。由実さんの足を見つけ、そばにあった毛布を引っ張った。「体は温かかった。なのに脈が感じられなかった」
そこから先の記憶がない。夜が明け、捜索隊が重機を使い、由実さんの遺体を運び出したと聞いた。
由実さんは、おっとりした性格。2年半ほど前に会社を辞め、家業のスイカ農家を手伝いながら仕事を探していた。
17日朝、登志子さんは由実さんの遺体と対面した。きれいな顔。まるで眠っているようだった。「起きてよ、起きてよ」。登志子さんは何度もそう呼びかけたという。「なんで地震が。なんで家にいたの。悔しくて、悔しくて」
嘉島町の上六嘉地区の奥田久幸さん(73)は、自宅の下敷きになって亡くなった。「今日は座敷に寝るけん」。地震で一晩車で過ごした翌15日夜、疲れていたのか妻のアヤ子さん(72)とは別の部屋で早めに就寝した。
数時間後、地震で自宅が倒壊。アヤ子さんが気付くと、胸の上30センチ近くまで天井板が迫っていた。暗闇の中、手探りで隙間に体を移動し、助けを待った。
「ちょっと来てー」。近くで久幸さんがいつものように呼ぶ声が聞こえてきた。でもアヤ子さんも挟まれて身動きがとれない。「助けがくるけん」と声をかけた。「ちょっと来てー、来てー」という声は次第に聞こえなくなった。
3時間後、アヤ子さんは救出されたが、元気な久幸さんと会うことはなかった。「ケンカもあったばってん、なんするにもちょっと来てーって。(地震が)こんなひどいと思わんけん」。アヤ子さんは話した。
近所の人に慕われていた西原村小森の加藤ひとみさん(79)と、義姉のカメノさん(90)は、潰れた2階建て住宅の1階から変わり果てた姿で見つかった。
16日未明の地震からまもなく、ひとみさんはがれきから意識不明の状態で助け出された。しかし、電話が通じず、救急車が呼べない。家族ぐるみのつきあいだった加藤博文さん(52)が軽トラの荷台に乗せて熊本市内の病院へ走ったが、命は救えなかった。「遊びに行っても温かく迎えてくれた。優しい人だった」
カメノさんは重いがれきの下だった。助け出すのに6時間以上かかり、すでに冷たくなっていた。村の小中学校の給食調理員だったカメノさん。茶飲み友達だった内田ヨウ子さん(80)は15日もお茶を飲み、おしゃべりで盛り上がったばかりだった。「ほんまによか人を亡くした。残念で仕方ない」と目頭を押さえた。