立浪昇さん=高知県大月町
62年前、あの海でわたしたちも被曝(ひばく)した――。米国が核実験を繰り返したマーシャル諸島の周辺海域にいたとする高知の元船員らが9日、国を相手に訴訟を起こした。日米間の政治決着を背景に公的な調査が打ち切られ、放射線被害への不安と向き合ってきた日々。元船員らの訴えに司法はどう応えるのか。
ビキニ被曝、国を提訴 元船員ら「健康問題を放置」
特集:核といのちを考える
「本来なら米国に補償を求めるべきだった。だが、日本にはそれをできる政治家や官僚がいなかった。こうしたことがあったんだと考えてもらう機会に訴訟がなれば……」。立浪昇さん(87)=高知県大月町=はこう語る。自宅から高知地裁までは約110キロ。9日は代理人の弁護士に提訴の手続きを託した。
立浪さんが通信士として乗り組んでいた「第五幸進丸」は1954年7月、約2カ月間のマグロ漁を終えて神奈川・三崎港に戻ってきた。白衣姿の「検査官」からマグロの処分を命じられ、自身にあてられた放射線測定器の針は大きく振れた。おそらく被曝していたことを示していたのだろうが、国が詳しく検査することはなかった。
体のだるさが抜けず、43歳でマグロ漁師を辞めた。歯はすべて抜け、60代で脳梗塞(のうこうそく)になった。被曝の影響で病気になったのかは分からないが、立浪さんは訴訟でこう問いたいと思っているという。「なぜ、日本政府はわしらに何もしなかったのか」
「第五豊丸」に乗っていた戸波英俊さん(81)=高知市=はビキニ環礁周辺で漁をしていた時、下痢が止まらなくなった。19歳だった。静岡・焼津港に戻り、病院で白血球減少症と診断された。退院後も体がだるく、28歳で船を下りた。船員手帳には「病気下船」と記されている。
宗教法人の所属教師になり、今は漁師から安全祈願を頼まれることがあるという戸波さん。「何も知らされず、健康な体を奪われたんです」。手元の資料を見ながらつぶやいた。
原告の中には、遺族もいる。
3月に87歳で敗血症で死亡した父が「第一新南丸」に乗っていた中屋ひろ美さん(53)=高知県室戸市。病床の父に代わって参加した高知県の健康相談会で、「放射能で汚れているとは知らず、航海中に海の魚をようけ食べた」などと話す元船員の体験を聞いた。
父の病気と被曝との関係は分からない。だが、司法の扉をたたく意味はあると思っている。「もやもやとした思いを抱えて生きてきた人たちがいることを知ってほしい」(西村奈緒美)