プロゴルファーの古閑美保さん=13日午前、阪神甲子園球場、伊藤進之介撮影
■甲子園観戦記
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木更津総合の早川君がいいって聞いて来ましたけど、ほんとだ。コントロールがすごい。唐津商の谷口君は独特のフォームだあ。
私、野球少女だったんです。
3歳のとき、私がおもちゃのバットで打ったら、ボールがいい角度で上がったそうです。高校球児だった父がめちゃくちゃ感動して、英才教育が始まりました。
山でドングリを集めてきては、打ちました。5歳ぐらいになると、スイングでろうそくの火を消す練習。父の理想は巨人の篠塚さんだったから、私は右利きなのに左打ち。父はいつも「美保ちゃんはすごい。日本で初めての女のプロ野球選手になれる。日本一になれる」って。もう溺愛(できあい)。親の言うことだから、私も信じてました。
小学3年で学校の野球部に。バッティングだけはずっとやってきたから、結構打てました。プロ野球のソフトバンクやオリックスで活躍した馬原孝浩さんからホームランを打ったこともあります。
でも5年生からゴルフも始めて、野球をやめることになります。父はずっとゴネてました。でも親戚に「野球やっても女はプロになれん」って説得されて、最後は渋々「ゴルフしよか」って。
ずっと「日本一」と言われて育ちましたから、1番しか考えなかった。賞金女王にもなりましたけど、試合でずっと2位でもとれるタイトルなんて、どうでもよかった。ただ、目の前の試合に勝てないのが悔しかった。1番になるために死ぬ気で頑張ってきました。
頑張れたのは高校3年のときに出会ったゴルフの師匠、清元登子(たかこ)さんがいたから。先生が厳しく見張ってくれなかったら、逃げ出してました。ゴルフが好きなんじゃなく、仕事としてやってましたから。11年にすっぱり引退したのは、その2年前に先生が脳梗塞(こうそく)で倒れられたことが大きいです。
負けた唐津商には、泣いてる選手もいます。高校野球に涙はつきものだけど、プロを目指す子は人前で泣かないでほしい。これは清元先生の教えなんです。「泣くのを我慢できないで、試合で自分をコントロールできるはずない」って。だから私は負けて泣いたことない。松井秀喜さんやマー君は甲子園で負けて泣かなかった。ね、すごい選手になってるでしょ。
私の子にはスポーツはしてほしいけど、プロにはなってほしくないなあ。子どもが生まれたら一切仕事はしないです。異常なまでの愛情を受けて育ちましたから、それは自分の子に返したい。まあ、まだ結婚してないんですけどね。(構成・篠原大輔)
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〈こが・みほ〉 プロゴルファー。1982年、熊本県生まれ。中学2年時に日本と世界のジュニア選手権に優勝。2001年にプロデビューし、08年には賞金女王に輝いた。11年シーズン後、29歳で引退を表明。