「満洲の記憶」研究会の大野絢也さん。集めた資料が積み上げられていた=3日、東京都国立市、木村司撮影
戦後71年がたち、戦争体験者の団体が次々と消えていくなか、体験を受け継ぎ、伝える試みを始めた戦後世代の人たちもいる。その危機感は、戦争を知る世代と共通する。このままでは、戦争の記憶が消えてしまう――。
特集:沖縄はいま
特集:沖縄戦
♪東より 光は来る 光を載せて 東亜の土に 使ひす我等――
7月20日、東京都内の中国料理店に、戦前の国策会社・南満州鉄道の社歌が響いた。今年、70年の歴史の幕を閉じた「満鉄会」の懇談会。ピーク時の会員数は1万数千人だが、この日の出席者は30人余りだった。
社歌をくちずさむ80~90代の元社員らの横に、若者がいた。20~30代の関東や関西の大学院生や研究者らでつくる「『満洲の記憶』研究会」のメンバーだ。旧満州で暮らした人たちの「記憶と記録の継承」をめざして3年前に発足。関係団体や慰霊祭を訪ねては戦中戦後の歩みがわかる資料を譲り受け、約15人から体験の聞き取りもした。
中心メンバーは9人。その一人、一橋大大学院生の大野絢也さん(28)は2014年秋、その半年前に解散した団体の男性に聞き取りを始めた。しかし男性はまもなく入院し、亡くなった。聞き取りは途中で終わった。「活動すればするほど、記憶が失われつつあることに危機感を覚える」
満鉄会で事務局長を務めた天野博之さん(80)は「研究会の活動は心強い」と話す。満鉄幹部だった父親は戦後、多くを語らなかった。11歳で引き揚げを経験した自身も「侵略者のお先棒を担いだ者の子弟」という負い目から、長年、体験を公言しなかった。
「埋もれた満州の記憶と記録はたくさんある。残された時間は少ない」
天野さんは、大野さんたちにそう伝えている。