柳原良平さんと氷川丸。15歳のとき初めて乗った船が氷川丸だった=2006年、横浜市中区の山下公園
3等身のずんぐり姿に印象的な目元。直線的なデザインがどこか愛くるしい。昭和の時代から愛され続けてきたキャラクター「アンクルトリス」の生みの親である画家柳原良平さんは、横浜に長く住み、船と港をこよなく愛した。だが、昨夏に84歳で他界。この17日、一周忌を迎える。
画家でありイラストレーター、時には漫画家、装丁家。世に出した作品は5千点をゆうに超えた。
亡くなった後、作品をデータ化する作業をしていた佐々木勲・美術著作権センター代表取締役(67)の手が、何度も止まった。「よくもこんなにアイデアが湧き出てくるものだ」。柳原さんとは35年来の付き合い。だが初めて見る作品も多く、一つ一つに見入った。昨秋に始めた作業を終えたのは、半年後だった。
柳原さんがよく言っていた。「次に何描こうか、想像するのが楽しいんだよ」。だからなのか、完成した作品には執着がなかった。手元に戻ってきた原画が袋に入れられたまま、アトリエの床にコロッと置いてあったことを思い出した。
美食家で無類の酒好き。英国屋でスーツを仕立て、首元にはアスコットタイ。刑事ドラマを好んだ。「大画家ですが、気さくな方でしたよ。アンクルトリスのような親しみがあってね」。個展を開けば、日が沈みかけると自ら来館者にトリスのハイボールを振る舞った。
昨年の暮れ、佐々木さんは柳原さんの書斎に初めて入った。生前は奥さんも入れなかった部屋だ。8畳ほどの部屋の真ん中に大きな机が一つ。その机が、周りに積み重ねられた本で「埋もれていた」。本のほとんどが船に関するものだった。