津波警報で小名浜第二小学校に避難した人たち=22日午前9時31分、福島県いわき市、西畑志朗撮影
震度5弱を観測し、津波警報が発令された福島県では沿岸部の自治体に避難所が設置され、小中学校では休校が相次いだ。東日本大震災を経験した住民たちは、口々に不安を語った。
福島・茨城などで震度5弱 仙台で1.4メートルの津波
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60センチの津波を観測したいわき市の沿岸部では小さな揺れの2、3秒後、大きな横揺れが発生。津波警報のサイレンが鳴り響いた。
いわき市役所の危機管理課では職員が津波の様子をモニターで監視しながら、電話で原子力発電所の状況確認に追われた。午前8時からは清水敏男市長ら幹部が出席した災害対策会議を開催。福島第二原発3号機の使用済み燃料プールの冷却機能が回復したと報告されると、安堵(あんど)の声が広がった。
東日本大震災で66人が犠牲となったいわき市久之浜町地域の龍光寺には午前8時過ぎ、約100台の車と近くの住民100人以上が詰めかけた。阿部一喜さん(70)は妻スミエさん(70)と避難した。「東日本大震災で恐ろしさが身に染みていたので、着の身着のままで逃げた」と話した。
小名浜港近くの三崎公園には数十人が避難し、海を見守った。土木会社勤務の千葉正樹さん(58)は港湾工事のため午前6時に入港する予定だった作業船を岸壁で待っていたとき、激しい揺れに襲われた。「船の上にいるみたいに地面がぐらぐら揺れた。道路が割れて陥没するんじゃないかと思った」。同港では地震直後、沖合に出る漁船が何隻も見られた。いわき市漁協副組合長の馬目祐市さん(54)は「船は自分の財産だから。助かる保証はないが、港に置いたままで船が流されるのを見るよりも、沖に出る方が安全だと判断した」と語った。
南相馬市では一時、市内5カ所の避難所に360人以上が避難。市内の全小中学校を休校にした。
市内の鹿島生涯学習センターに避難した元消防署職員の田村紀夫さん(66)の自宅は海岸線から約2キロ。東日本大震災の時よりも長い揺れを感じて津波が来ると直感し、妻と娘を車で自宅から約4キロ離れた高台の同センターに向かわせた。東日本大震災の時に逃げ遅れた人を車に乗せて避難した経験から、警戒しながら近所を走り、近所の高齢女性を車に乗せて自身も後から合流。パジャマ姿の人も多かったという。「東日本大震災の津波の記憶がよみがえった。女性たちからは『怖い』という声があがっていた」と話した。