シャハタさん(左から3人目)と家族。親族宅に身を寄せている=3日、カイロ郊外、翁長忠雄撮影
シリア内戦の激戦地アレッポを脱出したエジプト人のカマル・ハッサン・シャハタさん(41)が昨年12月末、エジプトに戻り、朝日新聞の取材に応じた。自宅は反体制派が拠点としたアレッポ東部にあった。制圧をめざすアサド政権軍の砲撃と食料不足で死を覚悟したという。
シャハタさんの父親は1970年代からアレッポで照明器具の製造販売業を営んでいた。85年に家族もアレッポへ移住。シャハタさんはエジプトで一時兵役に就いたが2000年にアレッポに戻り、シリア人女性と結婚した。
11年春、「アラブの春」がシリアに波及。政権軍は反政府デモを弾圧し、戦闘が拡大した。11年7月には反体制派の武装集団がアレッポ東部に入ってきた。穏健派からイスラム過激派まで多くの組織があったが、みんなマスクをしていて区別はつかなかった。政権は反体制派を「テロリスト」とみなした。
シャハタさんは14年2月に照明器具の工場や自宅、現金、車を武装集団に奪われた。家族15人は3階建ての家に住んでいたが、2部屋だけの家へ転居を余儀なくされた。シャハタさんは荷物を運ぶ日雇い仕事で食いつないだ。「自由を与えてくれると思って彼ら(反体制派)を支持する市民もいた。でも武器を手にしたらテロリスト。ギャングだ」と憤る。
15年までは食料も手に入った。やがて反体制派は物資を独占し、砂糖1キロが5千円、食用油1リットルが2千円にもなった。16年夏に政権軍がアレッポ東部の包囲を始めると、物資の補給路が断たれた。野菜と肉はほぼなくなり、手に入るのは米だけ。家族は1日1食でしのいだ。
政権軍の砲撃も激しかった。1…