並んで保管されている横田博子さんの骨箱(手前右)と弟の骨箱(同左)=岩手県釜石市の仙寿院、山浦正敬撮影
引き取り手のない遺骨が、岩手県釜石市の寺にある。名前はわかっているのに、埋葬してくれる身内が見つからない。東日本大震災からもうすぐ6年。東北の沿岸部には、そうした遺骨が少なくとも14柱ある。
特集:3.11 震災・復興
釜石市の仙寿院(せんじゅいん)に、横田博子さんの遺骨がある。警察発表で死亡時は63歳。
博子さんが津波の死者と確認されたのは、震災から4年が過ぎた2015年4月のことだ。遺体は津波の2日後に、自宅のそばで見つかった。しかし、身元がわかるものを身につけていなかった。独り暮らしで身寄りはなく、捜す人がいないため、行方不明者にも数えられていなかった。
「もしかして」と気付いたのは、市役所の国民健康保険担当の職員である。震災から3年半近くたっていた。欠かさず納められていた国民健康保険税の未納が続いていた。病院や薬局から診療や調剤の報酬明細書が届かない。いずれも境は2011年3月だった。
「津波で犠牲になったのかもしれない」。釜石市からの連絡で、県警が捜査した。自宅のそばで見つかった女性の遺体がある。一方、地震の2カ月後、すぐ近くのがれきの下から見つかった男性の遺体は、持ち物から博子さんの弟(当時60)と判明していた。弟も独り身だった。DNA型鑑定で姉弟とわかった。犠牲者名簿に初めて博子さんの名が載った。
それから1年10カ月。ほかの…