作新学院の宇井健人君=27日午前、阪神甲子園球場、筋野健太撮影
(27日、選抜高校野球 秀岳館3―2作新学院)
「3人が天国から見守ってくれているって信じてたから、ここまで来られた」。作新学院(栃木)の宇井健人君(3年)は6年前、学童野球の仲間3人を交通事故で亡くした。チームは27日の第1試合で秀岳館(熊本)と対戦した。
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まだ遅咲きの桜が舞っていた頃、事故はいつもの通学路で起きた。2011年4月、栃木県鹿沼市で登校中の小学生の列にクレーン車が突っ込み、児童6人が犠牲になった。うち3人が、当時小6だった宇井君が主将を務めていた「北押原スポーツ少年団野球部」のチームメートだった。
決して強いチームではなかったが、みんな野球が大好きだった。夏の県大会出場を目標に冬の猛特訓を乗り越えた矢先の事故で、「現実として受け入れられなかった」。亡くなった大森卓馬君(当時11)とはバッテリーを組んでいた。宇井君が投げて、大森君が捕る。「何も言わなくても、いつも投げたいところに構えてくれた」。2人が組めばきっと勝てる。夏が待ち遠しかった春は、あっという間に悲しみに染まった。
事故から約2週間後、監督を務めていた大森君の父利夫さん(52)が「あの子たちの努力を無駄にしちゃいけない」と練習を再開させた。「みんな目標を失った目をしていて、でも自分にできることをやろうと必死で。健ちゃんも、一生懸命主将として引っ張ってくれた」と振り返る。
あれから6年。宇井君はつらいことがあるたびに、3人のことを思い出した。
中学最後の大会で打てなかったとき。作新に入ってスランプに陥ったとき。昨秋の県大会で初めてもらった背番号を、関東大会ではもらえなかったとき。「3人はもう野球ができない。だから3人の分も自分が頑張らなきゃと思うと、どんなにつらいことも小さく思えた」。目に浮かぶ仲間たちはいつもボールを追いかけ、笑顔だった。野球が嫌になることは、なかった。
また春が来た。大森君の七回忌が営まれた19日に開幕した今大会。みんなで夢見た甲子園で、宇井君は背番号13をつかんだ。
この日、試合は秀岳館に2―3で敗退。宇井君の出場機会はなかったが、一塁のコーチスボックスや、ベンチから力いっぱい声を出した。「3人の分まで楽しめた。春で終わりではないので、夏には甲子園でプレー出来る選手になりたい」と笑顔を見せた。(伊吹早織)