行きつけの居酒屋での朴安錫(アンソ)さん。店内のピンク色の公衆電話の隣が定位置だった(1987年撮影、玄東日さん提供)
1968年の京都を舞台に日本人と在日朝鮮人の青春群像を描いた映画「パッチギ!」(井筒和幸監督、2005年公開)。強烈な印象を残した主人公の一人、「朝鮮高級学校の番長」のモチーフにもなった男性が先月、64歳で亡くなった。在日朝鮮人の朴安錫(パクアンソ)さん。大阪・ミナミでの破天荒な生き様が愛された「アンソ」は、仲間たちにとって「自由に生きた時代」の象徴だった。
映画「パッチギ!」は、京都府立高校に通う日本人の少年と朝鮮高級学校(朝高)の少女との恋愛を軸に展開される。そこに少女の兄で朝高の番長リ・アンソンの壁が立ちはだかる。
こんな場面がある。
リ・アンソンが、サッカー・ワールドカップ(W杯)出場をめざすため、北朝鮮への帰国船に乗ることを周囲に宣言する――。
大阪朝高サッカー部で活躍しながら、当時の大会規定で全国大会に出場できなかったアンソさんの実体験を、井筒監督は主人公に反映させていた。
ミナミに若者の街・アメリカ村が形成されていった1970年代。ミナミの音楽と酒を愛するアンソさんの姿が多くの人の記憶に残っている。米国のカウンターカルチャー(対抗文化)が真っ盛りの時代。20歳を過ぎたばかりのアンソさんは、長髪に、はやりのアロハシャツを着てウイスキーをあおっていた。
多くの若者と同じように米国に憧れた。日本は北朝鮮と国交がなく、朝鮮籍のアンソさんは「俺は無国籍やから」と当時、自ら渡米をあきらめていた様子だった。でも、自由に渡米したい願望もあったからか、「『養子にしてくれ』とおどけていた」と20代からの友達でミュージシャンの新町利明さん(64)。ただ決して悲観的ではなかった。「自分の力でどうにもならないこと、運命を悟ってたのかな」
事あるごとにVサインをしてい…