塚本花菜さんの遺影にハムスターのぬいぐるみを見せる母の有紀さん。ぬいぐるみは、亡くなった花菜さんの枕元に病院の看護師が置いてくれたものだ=兵庫県宝塚市
大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)で8人が亡くなった児童殺傷事件は、8日で発生から16年を迎えた。被害者やかけがえのない人を失った遺族は、周りに支えられ、助けが必要な人に手を差し伸べながら、思いを伝えていく。
■「あのときのお母さんだったのね」
2年生だった塚本花菜(かな)さん(当時7)を亡くした母の有紀さん(50)は、昨年春から、老人ホームの介護福祉士として働いている。
ある日、終末期の女性が意識もうろうとしながら「お母さん、しんどい、苦しい」とつぶやくのを聞き、胸が苦しくなった。「花菜ちゃんも亡くなる寸前まで、私のことを呼んでくれていたのかな」
16年前のあの日、市立池田病院に駆けつけた有紀さんは、ストレッチャーの上に横たわって亡くなっていた花菜さんと対面した。その時の花菜さんと、目の前の女性が重なって見えた。
それ以降、寝たきりの入居者の姿や、フロアを歩く看護師、白い布団を見ては事件を思い出し、仕事が手に着かなくなった。
「ちょっとだめかもしれない」。昨年7月、上司の女性マネジャーとの面談で、事件について初めて打ち明けた。
「あのときのお母さんだったのね」。池田病院で27年間、看護師をしていたマネジャーもあの日、病院でストレッチャーに乗った女の子の姿を見ていた。
マネジャーは「つらい所にいる必要はありません」と言い、介護度の軽い入居者の健常棟の介護支援担当に変えてくれた。マネジャーは「横たわったままの人を見るのはつらかったと思う。よくここまで頑張って来られた」と気遣う。
有紀さんは職場の同僚にも事件について話した。「しんどいときは無理しないで」と言ってくれた。自分から隔てていた壁がなくなった気がした。「花菜ちゃんはいとおしい。その子の話ができないのはすごく悲しかった。これからは話せます」
その後、施設が力を入れるレクリエーションの担当も任された。事件後に生まれて中学2年になった長男(14)が勉強する傍らで、生きる喜びや楽しみにつなげていけるレクリエーションを考えることが楽しい。
今年の6月8日はレクリエーションの担当者会議が入った。「この巡り合わせも、『いまは仕事を大事に』ということかも」。夕方、学校が終わった長男と一緒に付属池田小を訪れようと思っている。