カンボジアの隊員宿舎前に立つ川野辺寛さん(右)と、後に殉職した高田晴行さん(川野辺さん提供)
国連平和維持活動(PKO)への協力法が成立して15日で25年。初期の日本の派遣先だったカンボジアで銃撃戦に巻き込まれ、負傷した文民警察官の一人、川野辺寛さん(68)=横浜市都筑区=が、当時から書きためた手記や現地の写真を朝日新聞に寄せた。「同僚の死を無駄にしないため、事実を伝えたい」。現地の班長だった使命感もあり、日本の役割を問いかける。(《》内は手記から引用)
PKO派遣、日本警察どうかかわる? 需要は、課題は
特集:PKO25年
1993年5月4日の昼過ぎ、川野辺さんらはタイ国境のカンボジア北西部で会議を終え、帰路についていた。オランダ軍の車を先頭に、日本の警察官5人が乗る2台、地雷撤去部隊などの3台が続いていた。
《「突然、先頭のオランダ海兵隊の車から閃光(せんこう)が発せられた。直後『ドォーン』とロケット砲弾の炸裂(さくれつ)音、『パン、パン』という単発の狙撃音、『タン、タン、タン』とAK47カラシニコフ銃独特の乾いた連射音が同時に入り交じって耳元に達した」》
先頭車は突破し、異変に気づいた後方の3台も逃げた。だが、日本の警察官の2台は現場に残され、武装集団に集中砲火を浴びた。
《「弾丸の風圧が顔の皮膚に伝わる。何発かが長く伸びた頭髪の中を通過して、髪の毛がパラパラと落ちてくる。弾は容赦なく雨霰(あられ)の如(ごと)く飛んでくる。蜂の巣状態、そんな言葉ではとても形容しがたい。これほど、弾丸が私の身体を掠(かす)めているのに、当たらないのが不思議である」》
ロケット砲弾の音で、耳がたびたび聞こえにくい状態に。「また、当たりました」「今度は、腹に来ました」「ウッ、ウーッ」。同僚の絞り出す声も聞こえ、血しぶきが降り注いできた。
《「突然、銃声が一斉に鳴りやんだ。同時に兵士が車に忍び寄ってきた。一人は助手席のドアを開け、隊員に銃を突きつけて『ウー、ウー』と威嚇するような声を発して降りるよう促す。ポル・ポト派兵士の戦闘服・帽子を身に着け、まだ15歳位の子供にしか見えない。運転席の隊員は自らドアを開けたが、そのまま『ドサッ』と地面に崩れ落ちた」》
死んだと思ったのか、武装集団は撤収していった。頭や脇腹に被弾した川野辺さんをはじめ、日本人5人が負傷。特に高田晴行警部補(当時33)は首や肺を貫通し、全身に傷があった。
《「酸素マスクを高田の口に押し当てながら、耳元に大声で『高田吸え』と叫んだら、彼は口を尖(とが)らせて最後の力をふりしぼって酸素を吸い込もうとしていた。彼は、まだ生きていたのだ。撃たれてから2時間以上もがんばっていた」》
病院のカウンターで軍医が心臓…