朝日新聞デジタルのアンケート
国際会議で飛び出した稲田朋美防衛相の「グッドルッキング(美しい)」発言に反発するアンケート回答がありました。発言について記事を書いた記者が、記事に寄せられた反響を含めて報告します。メディアだって「美しすぎる」などと、その人の本来の活躍とは関係ないところを切り出すではないか、という批判も寄せられました。
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■「古くさい男性のよう」
シンガポールで6月に開かれたアジア安全保障会議で、稲田朋美防衛相が英語の講演中に放った言葉が波紋を呼びました。
「私たち3人には共通点がある。みんな女性で、同世代。そして全員がグッドルッキング(美しい)!」
講演の冒頭、共に壇上に上がったオーストラリアとフランスの国防相(当時)と自分の容姿についての突然の言及でした。政府関係者らが並ぶ会場前方では笑いが起きましたが、私のいた会場後方では顔を見合わせる記者もおり、しんと静まりかえっていました。
政治部の同僚記者の取材によると、もともとの原稿にこのフレーズはなく、稲田さん本人の発案で直前に入れたそうです。
翌日、講演を聴いていた外国メディアの記者数人に「グッドルッキング発言について」と話しかけると、みんな苦い顔。特に仏ルモンド紙の女性記者は「まるで古くさい男性のようだった。女性である大臣自身が、女性差別的な発言をしたのに驚いた」と痛烈でした。
この時の違和感を6月14日朝刊のコラム「特派員メモ 『容姿』発言の波紋」で紹介したところ、ソーシャルメディアなどを通じて、多くの反響が寄せられました。「恥ずかしい発言だ」「政治の仕事はタレントではない」といった声のほか、「残念ながら日本ではこういう振る舞いが受ける」との意見もありました。
一方で、発言を批判しながらも、稲田さんの容姿についても話題にする反応がとても多く、「記事の真意が伝わっていないのでは」と心配になりました。
著書「お笑いジェンダー論」で男性に対する「ちび・はげ」差別を考察した東京大大学院の瀬地山角(せちやまかく)教授(ジェンダー論)は、発言は二つの問題をはらんでいると指摘します。
①職務と関係ない属性に不必要に言及すること②「美しい」などと社会的に優位な特性を誇ったりたたえたりすることで、社会にある差別構造への無理解を示すこと。特に②を高い立場にある人が発言した場合、放置すれば差別を助長することになりかねません。
多くの先進国では、こうした発言を不適切だとする傾向が強まっています。米国のオバマ大統領(当時)が2013年に女性司法長官を「飛び抜けてきれいだ」と紹介した際にはメディアから批判を浴び、発言は長官の「業績や能力をなんらおとしめるものではない」と釈明に追い込まれました。今年3月、英国の大衆紙「デイリー・メール」がメイ首相とスコットランド民族党のスタージョン党首の会談をめぐる記事で2人の「脚線美」を比較した際にも、国内外から批判が殺到しました。
「容姿で苦しむ人が社会にいるということを理解していれば『美人』発言はできない。男性政治家について言ったのであってもアウトです」と瀬地山さんは指摘します。
政治学者の三浦まり・上智大教授は今回の発言の背景には、男女格差の問題もあると指摘します。三浦さんは「日本社会ではサッカーや政治などの分野で、どんなに成果がある女性でも当たり前のように容姿を話題にされることが男性より圧倒的に多い」と説明します。
確かに日本ではメディアも女性の政治家やスポーツ選手に「美しすぎる」といった修飾語をつけて紹介することが多々あります。容姿への不必要な言及は不適切だという認識がまだ薄いように見えます。私自身、稲田さんの発言を日本の地方選挙などの場で聞いていたら、違和感を持たなかったかもしれません。
三浦さんによると、こうした構造を支えているのは、男性のフルタイム労働者の賃金を100とした場合、女性は72.2といった男女の所得格差。管理職の女性の比率も低く、「こうした現実の中では女性が容姿で判断されることは日常茶飯事になってしまう。稲田氏の発言は男性優位の社会に適応しすぎたことの表れなのかもしれません」。
メディアの報道もこれまで、こうした点にどれだけ配慮してきたか。稲田さんの発言は氷山の一角にすぎず、日本社会全体に同様の失言はあふれているのかもしれない。記事に続々と寄せられた反響をみていて、そう感じました。(守真弓)
■容姿話せない風潮、残念 「元祖美人市議」・佐野美和さん
元東京都八王子市議の佐野美和さん(50)は、「元祖美人市議」とも言われるそうです。
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ミス日本になった後、28歳の時に八王子市議選に無所属で立候補して、初当選しました。当時は「無党派層」という言葉が大きく取り上げられた時代。インターネットも普及していないですから、政党に所属していない私は選挙期間中のポスターで勝負するしかないと考えました。アマチュア写真のモデルをやっていたので、撮影会での写真を使いました。ピンク色のシャツに大きなイヤリング、パーマのかかった長い髪を触ってほほえんでいる写真です。
当時はすごく話題になって、何十枚もポスターが盗まれました。「美人市議」と言われ当選した後も、水着姿のカレンダーを出して怒られたこともあります。「おじさん一色」だった地方議会で埋没しないため、注目されない地方議会に目を向けてもらうために、「若さ」「女性」を強調して悪のりしてしまった結果です。
でも見た目を武器にしたこと自体は良かったと思っていますよ。どうしても、服装や髪形などの見た目があまりにもとがっていたり、自分と違ったりしたら、友達になるのだって難しい。政治でも、自分の考えが伝わらないことはあると思います。
メディアが見た目に注目するのはありだと思います。私自身は見た目で目立とうとしましたし、それによってメディアにも注目してもらいました。「美しい」と思われることが、その人の話を聞いてみるきっかけになるかもしれないですよね。それは否定されるものではない。
政界を離れた今は国会議員へのインタビュー活動をしています。今の時代は、見た目で戦う方法はもはや「当たり前」。おしゃれに興味がない人も、考えの中身を聞いてもらうためにある程度迎合して、一定水準をめざさないといけない、と思っているんじゃないでしょうか。
女性より、男性議員のほうが気にしています。彼らが60~70代の女性有権者にどれだけ値踏みされているか。武骨な人でも撮影前には鏡をチェックするし、今まで着たことがないピンクのシャツも着る。増毛、シミ取り、ほくろ取りをしている人もいるようです。
だれでもある程度見た目を気にするようになって横並びになったことは良かったです。見た目でどうこうというレベルを超えて、その人が何を考えているのかという話ができるようになったということですから。
今はその標準以上に見た目を強調しようとしてしまうと「それしか考えていないのでは」と有権者を不安にさせてしまう。自分がそうだったからよくわかるんですけど。見た目だけで戦おうとするのは時代遅れですよね。
稲田朋美防衛相の「グッドルッキング」発言は、世界の流れからすれば批判を受けるのは仕方ないですが、私は見た目について話せない風潮はちょっと残念だなとも思います。良いと思ったら良いと言いたい。人間味がなくなっちゃうんじゃないでしょうか。(聞き手・船崎桜)
■「美しすぎる○○」メディアだって
アンケートに寄せられた声の一部です。
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●「見た目というか顔の評価を社会が自然としていると感じる。稲田防衛大臣ではないが、本来美醜と関係のないスポーツや政治の世界で『美人○○』なんてよく聞くし、ひと昔前には『美しすぎる○○』というフレーズがよくはやっていた」(群馬県・40代男性)
●「稲田大臣の発言は非常に不愉快でした。国際社会での発言として最悪だと思いました。芸能人やタレントの基準とは異なる、本人の実績や努力で評価されるべきことが矮小(わいしょう)化されたように感じました。見た目で注目されて、中身の全くなかった若い女性科学者もいました。今の社会、映像が流布したために、必要以上に判断基準が外見に傾いている気がします。もちろん結果的に中身がない場合は暴露されてしまいますが。そういう自分も外見で人を判断することがないとは言えませんが、それは何事かを成し遂げた人物は、素材がどうあれ、年輪を重ねて魅力的にみえることもあるからです」(宮城県・60代女性)
●「見た目、といっても顔だけではなく髪形や服装も含めて見た目だと思う。普段はすっぴんでも、外出時には目的にあった『見た目』にすることが礼儀だと思っている。年齢を重ねるとその人の生き方や考え方が顔に出てくるので、一般的な美男美女という基準で人を判断することはなくなってきた。自分自身も内面を磨きたいと思う。また、よく『美しすぎる○○』などと紹介される記事が目に付くが、マスコミはやはり美男美女押しなのだと、美しい人が得をするような現状なのだとつくづく思う。そして実のところそんなに美しくなかったりすることが多いのも疑問に思う」(海外・50代女性)
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