川上夫妻と海風ちゃん=松江市南田町
雨上がりの球場に管楽器の音が響いた。昨夏の島根大会開会式。入場行進をする39校の選手たちを先導する男性も両手を大きく振り、真剣なまなざし。直後の開幕試合のアナウンスを任されていた妻は、放送室から夫の晴れ舞台を見守った。
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夫は益田翔陽の実習教員川上甲児さん(32)。この時の夏は松江農林の野球部コーチで、大会関係者の1人として先導役を務めた。松江市鹿島町出身。野球好きの父の影響で小学生から野球を始めた。名前は甲子園にちなんでいる。
松江農林で主将を務めた3年の夏はベスト4で敗れた。卒業後、市内のスポーツ用品店で働いていた時も甲子園のことが頭を離れなかった。営業で名刺を渡した相手から、甲子園に出ていないことをいじられると内心悔しかった。
26歳だった2011年、甲子園球場のボールボーイのアルバイトをインターネットで見つけた。憧れた場所で働くことに期待が膨らむ一方、収入が減り、転居で家賃が必要になるという現実があった。だが、体力的にも今しかないと踏ん切りをつけた。人生を変えることになる瞬間だった。
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妻の佳穂(かほ)さん(32)は和歌山県生まれ。8歳上の兄の影響で野球が好きになり、田辺商(現神島)でマネジャーを務めた。卒業を控え、阪神電鉄の採用募集を知った。職務は甲子園の球場アナウンス。経験はなく、もともと地元の看護学校に進むつもりだったが、「野球に関わることができるなら」と応募した。
04年から甲子園のアナウンスを担当。高校野球、プロの試合を問わず年約80試合を任された。思い出に残っているのは同年夏、ダルビッシュ有投手(米大リーグ・レンジャーズ)を擁する東北(宮城)と北大津(滋賀)の一戦。長蛇の列と見たこともない大観衆の熱気に感激した。
12年秋、野球に引かれた2人は聖地で出会った。佳穂さんはアナウンス席の窓ガラスを拭く甲児さんを覚えていた。球場の廊下ですれ違うことが多くなり、自然とあいさつを交わした。甲児さんは思い切って声を掛けた。「バイトを2週間後に辞めて島根に帰るんです」。きちんと会話したのは初めてだった。
やがて交際が始まり、甲児さんが翌春島根に帰ると遠距離恋愛になった。試合のアナウンスを終えた足で夜行バスに乗り、佳穂さんが島根に会いに来ることもあった。14年、2人は夫婦になった。
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2人が不思議な縁を感じた試合がある。14年の島根大会開幕試合。矢上―飯南戦は佳穂さんにとって島根での初アナウンスの試合だった。この時の矢上の部長は甲児さんの松江農林時代の監督だった唐島一将さん(57)。矢上のエースとしてマウンドに立ったのは甲児さんがいた松江農林の試合を当時よく見に来ていた唐島さんの息子彬(あきら)君(3年)だった。「3年だと最後の夏の思い出。間違ってはいけない」。佳穂さんはいつも以上に目の前の原稿に集中した。
2年前、長女の海風(みかぜ)ちゃん(2)が生まれた。球場が目に入ると、「野球、野球」とはしゃぐ。アナウンスの仕事がある佳穂さんについていき、まねもする。「野球の神様が色々と与えてくれているのかな」と甲児さんの表情は優しい。今年の島根大会、16日に松江市営野球場である松江農林の初戦を家族3人で応援しに行くつもりだ。(市野塊)