守備練習をする京都翔英の選手たち。ボールを持たない選手も指示を出し合う=京都府宇治市
高台の練習場に、選手たちの声が響いていた。7月上旬。春夏2回の甲子園出場がある京都翔英。ノックが終わると、選手たちは一斉に打撃練習用のケージを三つ立ち上げ、投球マシンをセットし、次々に打席に立った。
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太陽はまだ高い午後4時すぎだが、選手は時間を惜しむように動いていた。普段の練習は午後6時半まで。伊地知正喜監督(43)は、「『もっと練習したい』と思うくらいの時間のほうが、選手たちが練習の意味を考えてくれる」と話す。
守備の時のグラブの出し方は、打席でボール球に手を出さないためには――。主将の阿部大弥君(3年)は「時間が限られているので一球一球考える。練習時間は短いけど、充実している」と話す。
2年前、入学した当時の状況は今とは違った。
練習は午後9時ごろまで。野球部の寮に帰るのは午後10時。食事を済ませ、風呂に入って眠るのは午後11時か午前0時。翌朝は朝練のため、午前5時半に起きた。朝、1キロの白飯を食べるのがノルマで、寝不足の中で食べるのがつらかった。
1年生の12月、故浅井敬由さんが監督に就任し、今のような練習に変わった。睡眠時間を重視するため朝練をやめ、体調管理の観点から毎週1日、休みを設けている。
昨夏の京都大会で優勝したが、浅井さんは昨年10月、大動脈解離のため56歳で急逝。約10年間、部長を務めていた伊地知さんが引き継いだ。
連覇をかけて臨んだこの夏。13日の京都大会初戦では、安打数は相手を上回ったものの、サヨナラ負けを喫した。
伊地知さんは以前の練習について、「実績の無い学校が突破口を開こうと思ったら、練習しかなく、長い練習は否定しない」とした上で、こう話した。「今のやり方で見えている『選手のうまくなりたいと思う気持ち』が一番大切だと思う。負けたからと言って練習時間は変えない」
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休日が極端に少ない、長時間の活動など、過熱する中学・高校の部活動が、子どもたちや教員の過度な負担になっていると問題になっている。
部活のやり過ぎは、以前から指摘されていた。文部省(当時)は1996年度、全国の中高の生徒・教員ら約5万4千人にアンケートを実施。運動部の一番の問題点として「活動時間の多さ」が多く挙げられ、97年、同省の有識者会議が、休養日を設けるよう提言している。
文部科学省は今年1月、「依然として休養日を設けていない運動部が一定程度ある」として、全国の教育委員会などに対し、運動部の部活動で休養日を設けるように求める通知書を出した。
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甲子園出場経験もある、県立の伝統校・小山(おやま、栃木)。篠田健太郎君(3年)は1年生だった時、帰宅途中で中学の同級生と会い、「いままで練習?」と驚かれた。午後11時を回り、同級生は私服だった。
当時、毎日の「掃除当番」は1年生の役目で、上級生の自主練習が終わるまで待っていた。グラウンド整備も1年生だけが昼休みにしていた。
斎藤崇監督(46)は昨秋、これらの慣習をやめさせた。「私たちの時代は、厳しさが強さだと信じられてきた。でも、今の子どもたちには合っていない」
同時に、荷物の置き場を学年ごとからポジションごとに変えるなど、学年の壁を取り払った。今、外から練習をみる限りでは上級生と下級生の区別はつきにくい。
斎藤さんは「変わらなくていいものもあっていいが、変化も必要。それに気付くために、観察することが大事」と感じている。