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父の生死、迫られた三つの選択肢 一人息子は決断した

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2017-7-24 17:18:16  点击:  切换到繁體中文

 

写真・図版


2014年夏、両親が暮らす徳島県内の有料老人ホームに「阿波踊り」が慰問に訪れた(ホーム提供)


■両親の介護と仕事と認知症:2(マンスリーコラム)


いざ、父を認知症専門の病院に連れて行こうと思っても、どうやって病院を探せばいいのか、さっぱりわからない。


父の異変、妻は気づいた 何度も同じ質問、道迷い帰れず


インターネットで検索したが、2007年ごろに認知症の診療を掲げている病院は少なかったように思う。そんな中、神戸大学医学部付属病院(神戸市中央区)に認知症の専門外来「メモリークリニック」があることがわかり、行くことにした。「メモリークリニック」という呼称が、「認知症」の現実を、少し和らげてくれるような気もした。


その頃の私は写真部のデスク。朝刊担当の日は午後2時出社なので、平日でも午前中は自由な時間を持てた。


約2時間待って診察の順番が回ってきた。紹介状も持たず外来を訪ねた私たちを、医師はいぶかしげに見ていたが、それでも父の生い立ちや日々の生活状態、家族から見た最近の変化などを聞き、丁寧に診察を進めてくれた。


■診断の結果


父は認知症チェックテストを受けた。医師が言った時間を円の中に時計のように描く問題や、立体図を描く問題があった。しかし、どれも正しく描けなかった。今日の日付を質問されたときも、日にちを間違えて答えた。


次に現在の首相を聞かれた父は、じっと考え込んだ末に「中曽根?」と答えた。私は思わず「小泉やん!」と口を出してしまった。


医師が質問をするたび、「正解を言ってくれ!」と私は祈るような思いで見ていたが、父はことごとく間違えた。


一通りの診断を終えた父は、別の日に頭部CTスキャンを受診した。そして1カ月後、父はアルツハイマー型認知症と診断され、認知症治療薬の「アリセプト」を服用することになった。


父は要介護1と認定されたが、生活は特に変わらず、これまで通り近所のスーパーへ買い物に行ったり、朝夕は夫婦でマンション近くを散歩したりしていた。私が訪ねて行くと、自分でお湯を沸かしてコーヒーをいれてくれた。


薬が無くなる2カ月ごとに、私が父を連れて神戸大病院へ通った。母が駅まで父を連れてくる。次に私が父を連れて電車で病院に向かう。終わったら三宮駅までタクシーで戻り、改札で父を見送った。


通院は3~4年続いたと思うが、その間、父は一度も電車を乗り過ごしたり、降車駅を間違えたりしたことはなかった。


■「二度と行けへん!」


神戸大病院の担当は途中で30代の医師に変わった。いつもにこやかで言葉遣いも丁寧で、私も信頼していた。


しばらくして、この医師が長期で診察を休むことになり、自宅近くの個人病院を紹介された。電話で予約を入れ、妻と一緒に紹介状を持って病院を訪ねた。


父の血圧を測ると、非常に高い数値が出た。


すると医師は「こんな数値でよ…




 

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