稲川淳二さん=小林一茂撮影
怪談家稲川淳二さんの「語り」の魅力をお伝えすべく、インタビューの口調をできるだけ忠実に再現しました。
稲川淳二、古希の夏は怪談元年 「命を賭けてやろうと」
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――稲川怪談のルーツは
うちの母親ですよ。子どものときにね、うちの母親は話がうまくてね、おかしい話でも何でも、よく知ってんですよ。もう下町の人間ですからね。私の生まれって東京渋谷区の恵比寿なんですが、そのあたりってね、戦争中に焼けなかったんですよ。爆撃受けないで。だから、古ういまんまの日本家屋がみいんな残ってんですよね、木造の、似たような家がずっと残ってて。でね、特にね、やっぱり昔の家って怖いんですよ、なんだか造りが。2階で寝るんですがね、夜遅くなって起きてると「だめだほら、もう寝なさい」って言われて、お袋にケツたたかれながら2階へ上がっていくわけだ。弟とペタッペタッやりながら、急な階段ね、上見んの怖いんですよ。で、座敷に布団が敷いてあって、一方に弟、一方に私がこう寝ると、母親がね、ぺちょおんと座るんだけど、寝るときに、ちっちゃい明かりつけるんですよ、昔は豆電球ですよ。で、逆光んなるからさ、お袋ちょうどシルエットでこう映るわけだ、ふわあっと髪の毛乱れて。それがぐうっと乗り出してね、「これね、あたしが子どものころにね、うちのほうで実際にあったんだよ」って話すんですよね。
「小学校3年生のお兄ちゃんとね、1年生の弟が、日に日に痩せていくんだよねえ。担任の先生がお兄ちゃんのほう呼んでね、何だ、何かあるのかって聞いたんだけど、そしたらね、家にお化けが出るって言う。おかしいなあ。このうちというのはね、お父さんしょっちゅう海外行ってて、豊かな家で、お金に困るような家じゃないしね、食べるもん食べないなんていうわけじゃないからねえ。どうやらそのお化けが原因らしいんだけど、考えたらその、お母さん亡くなってて、後妻が入ったんですよね。それで先生が誰にも言うんじゃないぞ、夜になったら先生行ってあげるからな、窓開けとけよ。それで行くわけだ。先生が押し入れに隠れて、じいっと様子伺ってるうちにうつらうつらし始めると、ひたひたひたひたひた……。廊下を歩く足音がして、ふすまがツーッと開くと、白い足袋が現れて、黒い長い髪の毛がうわーっと出てきて」
うわっ!て思うと、「はい、おやすみー」って明かり消して行っちゃうんです。弟なんか「おっかねえ、おっかねえ」つってるし、私は怖いんだけど妙に楽しくてね。怪談好きになっちゃいましたよ。うちはおばあちゃんも怪談話してくれましたし、田舎の怪談なんかをね。ですから、ごく当たり前に怪談がありましたよね。