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「甲子園で燃え尽きてもいい、それが青春」堀江謙一さん

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2017-8-22 20:42:09  点击:  切换到繁體中文

 

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堀江謙一さん=小林一茂撮影


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■甲子園観戦記 海洋冒険家・堀江謙一さん


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海からの風を感じます。潮の香りも。いま甲子園球場に吹く風は、ヨットにとってもとてもいい。順風満帆と言うでしょう。帆をめいっぱいに広げて走ることが出来る。そんな風です。広陵の中村君はすごいですね。ホームランを2本。どちらも風とは関係なく、スタンドに一直線です。


関大一高のヨット部時代、甲子園球場から直線距離で3キロほどの西宮のヨットハーバーが練習拠点でした。海からは甲子園のアドバルーンがよく見えた。お互い、青春まっただ中だな。そんな風に思ったことを覚えています。


僕の青春は海の上にありました。「世界一広い海を、世界一小さなヨットで渡りたい」。23歳だった55年前、全長5・8メートルのマーメイド号で世界初の単独太平洋横断に挑みました。どれだけ高いハードルを越えられるか。そこに挑むのがスポーツの基本でしょう。誰もやったことのないことに挑みたかった。


当時、旅券発行は認められず、不法出国せざるを得なかった。春から少しずつ、水や食料を積み込み、5月12日の夜、西宮のヨットハーバーを出航しました。先輩2人が車のヘッドライトで照らして見送ってくれました。誰かと会話したのは船とすれ違った時の2度だけです。アメリカのサンフランシスコに着いたのが8月12日。94日間の航海でした。強制送還を覚悟していたのに、サンフランシスコ市長は「コロンブスもパスポートは省略した」と歓迎してくれました。


僕はあの時、この航海をやり遂げたら、次に何を目標にしようかということを考えられなかった。いま必死にプレーしている広陵と天理の選手も同じような気持ちではないでしょうか。この試合の後のことなんか考えられない。甲子園で燃え尽きてしまっていい。そのくらいの思いでいる。それが青春でしょう。


1974年には世界一周に挑み、その後もソーラーボートや波の力だけで進む波浪推進船での航海にも出た。高さ10メートルのマストの上からサメの泳ぐ海に転落したり、北極海付近で氷に閉じ込められたり。危険な目に遭っても、次の航海をやめることは出来ませんでした。生涯、チャレンジャーでいたいと思うからです。


天理の選手たち、あきらめません。最終回、3点差まで追い上げた。2死満塁で山口君が空振り三振。いい試合でした。涙が出てきます。一つのことに挑戦し、やりきった。その経験は宝物です。これからの人生で、また新しいことに挑んでいける。挑戦することの意味を彼らはよく知っているからです。(構成・竹田竜世)



〈ほりえ・けんいち〉 1938年、大阪市出身。大阪・関大一高卒。62年、小型ヨット「マーメイド号」で太平洋単独横断に成功。74年には西回り世界一周、05年に東回り世界一周など、数々の海洋冒険を重ねる。




 

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