シュートを打つJFLの東京武蔵野の小山大樹②
389試合。サッカーJリーグの下のJFL(日本フットボールリーグ)の出場最多記録を持ち、「鉄人」とたたえられた選手が引退した。東京武蔵野シティFCのDF小山大樹(36)。Jリーガーになる夢はかなわなかったが、JFL通算17年のサッカー人生をやりきった。
「こやま! こやま!」
武蔵野サポーターから、大きなコールが起きた。10月下旬、味の素フィールド西が丘であったマルヤス岡崎戦。後半30分から出場した小山は、クロスボールに身を投げ出してボレーを放つなど、チーム最多タイのシュート3本。通算22点目はならなかったが、決定機に絡み、観客を沸かせた。
試合後の引退セレモニーで、妻、双子の娘2人(3)から花束を受け取った。小山は「みなさんの支えがあったから、ここまでやってこられた」。大雨の中、集まった307人の観客から拍手を受け、最後はチームメートに胴上げされた。
JFLに初めて出場したのは、2000年、静岡産業大2年生だった19歳のとき。当時、大学のサッカー部がJFLに所属しており、4年生までの3シーズンで計44試合に出場。同学年の元日本代表FW巻誠一郎(J2熊本)と同じ全日本大学選抜に選ばれたこともあったが、卒業時にJリーグから誘いはなかった。
群馬FCホリコシを経て、05年からは地元東京の武蔵野一筋。新潟、甲府、湘南などJリーグの計7クラブで練習参加やセレクションを受けた。「自分の方ができている、という自信があった」。だが、吉報は届かず、一度もプロにはなれなかった。
武蔵野の前身は、横河電機サッカー部。小山は関連会社で朝から夕方まで働き、夜に約2時間練習する社会人選手としてキャリアを積んだ。翌日に練習がある日は酒を飲まない。生真面目な性格で、「生活リズムを大事にしてきた」ことが長い現役生活を支えたひけつという。
174センチ、71キロのがっちりした体格で体の強さが持ち味だった。12年には天皇杯全日本選手権で、J1のFC東京を破る番狂わせを演じたこともある。ただ、太ももの肉離れや肩の脱臼などがあり、ここ数年は出場機会が減った。「理想と現実のギャップを埋められなくなった」。今年9月に三女が誕生したことも影響し、引退を決断した。
しばらくは、負担をかけてきた妻を支えながら、仕事に専念するつもりだ。だが、友人から、35歳以上のサッカー大会に出ようというオファーが早速届いており、「現役復帰」を迷っているという。「プロではない僕たちに、『引退』という言葉は必要ないかもしれませんね」(勝見壮史)
各リーグの最多出場記録
リーグ 選手 所属 最多出場数(左から)
J1 GK楢崎正剛(41) 名古屋 631
J2 GK本間幸司(40) 水戸 563
J3 MF久富賢(27) 秋田 130
JFL DF小山大樹(36) 東京武蔵野 389
※今季終了時点。J1は1993年、J2は99年、J3は2014年から
〈JFL(日本フットボールリーグ)〉 Jリーグ入りを目指すクラブ、企業や大学のチームなど、様々な背景を持つチームが参戦するアマチュアの全国リーグ。J3の下で、実質4部。J2が発足した1999年に、前身のジャパンフットボールリーグから現在のJFLに。条件を満たしたクラブのJ3昇格、関東や関西といった地域リーグへの降格もある。16チームが前後期の2ステージ制で争い、各ステージ1位チームによるチャンピオンシップで年間優勝を決める。今季は前後期を制したホンダが年間王者になった。