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「生きてるー?」がん治療支えたテレビ電話 カープ赤松

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2018-1-17 14:14:49  点击:  切换到繁體中文

 

写真・図版


1軍復帰に向け、調整を続けるプロ野球・広島カープの赤松真人選手=2018年1月15日午後、広島県廿日市市、上田幸一撮影



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2016年12月に胃がんがわかったプロ野球・広島カープの赤松真人選手(35)。17年1月に胃の半分を切除して半年間、抗がん剤治療を受けました。「病気やけがと闘う人に、勇気を届けたい」。その思いでトレーニングに励みます。支えてくれた周囲や病への思いを聴きました。


特集「がんとともに」


野球ができる喜び


仲間と汗を流して、野球ができる。いま、チームメートと野球ができることが本当にうれしいです。1年前は考えられませんでした。「野球ができない」という去年があったからこそ、野球ができることがうれしいのです。


例年、健康診断を受けている医療機関で2016年12月、胃カメラの検査を受けました。妻が予約していて、「ただ待っているのもな」と思って自分も受けたらがんが分かった。


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2016年の日本シリーズ初戦で日本ハムに勝ち、体をぶつけ合う広島の(左から)赤松真人選手、鈴木誠也選手、丸佳浩選手。この約1カ月半後に赤松選手のがんがわかった=2016年10月22日、上田幸一撮影



自覚症状も全く無かったので「うそでしょ?」と思いました。先生からは、「これ、風邪」っていうぐらいに簡単に「あ、がんだね」と言われました。初見では悪いがん細胞でもないという話だったので、そこまで深刻に受け止めていなかった。手術で胃をちょっと切って、治ればまた戻れる、合流できると考えていました。


あかまつ・まさと


1982年、京都市出身。右投げ右打ち。平安高、立命館大を経て2004年秋のドラフト6位で阪神タイガースに入団。08年に広島カープへ移籍。背番号38。カープが25年ぶりにセ・リーグを制した16年は、代走や守備の要として89試合に出場した。



つらい治療


もしもあのとき、検査を受けなかったら、40歳まで生きていなかったかもしれません。胃を全摘出する必要があっただろうし、野球もできていなかったと思います。


父が肺がんになったんですが、どこか他人事でした。後から新聞で「がんは2人に1人がかかる」と知って驚きました。なのに「自分だけはかからない」と思っていた。浅はかだったなと思います。


でも「抗がん剤はつらい」という知識はあったんですよ。だからリンパ節への転移が分かり「ステージ3」と言われ、「抗がん剤治療が必要です」と言われたときが一番ショックでしたね。


抗がん剤は、再発率や生存率を聞いて、半年間の治療を選びました。でも副作用が手足に残ると言われました。


点滴と飲み薬を併用し、8セット繰り返す治療でした。1回目が終わった時は「これなら耐えられるだろう」と妻と話した記憶があります。でも抗がん剤って、治療が始まった直後にがくっと体調が悪くなる。インフルエンザにかかったみたいになり、下痢と嘔吐(おうと)も続く。治療が始まった日の夜は、眠るのが本当に怖かったですね。


「やめたい」と思うこともあり…



 

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