太田記者がオランダで取材したルイーズ・スホールテさんの2歳から99歳までの写真=本人提供
渡る世間と安楽死:3
脚本家・橋田寿賀子さん(92)に安楽死をテーマに話を聞くインタビューの3回目は「告知、どうする」。自身の夫を亡くしたときの経験などを、オランダの安楽死事情に詳しい太田啓之記者(53)が聞きます。
橋田寿賀子さん「安楽死、もうあきらめました」
父は、安楽死する5分前に私と記念写真に納まりました―オランダ(GLOBE)
消極的安楽死?尊厳死? 日本とオランダ、どう違う
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記者 橋田さんに見てもらいたい写真があるんです。オランダでお会いしたルイーズ・スホールテさんという女性の、2歳から99歳までの肖像写真です。
この方は現役時代、旅行の添乗員で世界中を回っていたんですが、高齢になって一人暮らしで足が不自由になり、好きな旅行もできなくなって「安楽死したい」という強い思いを抱くようになった。
だけど高齢者医療の専門医に「あなたが安楽死したいのは、孤独が一番の原因ではないか」と指摘され、息子の家の近くのケアハウスに移ったところ、自分よりもつらい状態の高齢者がいっぱいいて、それでも生きようとされているのを目の当たりにした。
それで、「自分もがんばって生きてみよう」いう気が湧いてきて、今年4月には100歳の誕生日を迎えるそうです。僕はこの写真を見て、ひとりの人間が100年間生きることの重さとすごさを改めて実感したんですよ。
橋田 この方が100歳になるんですか。やあ、ステキですねえ、この人。立派じゃないですか。すごくいい顔をしていらっしゃる。若い時のまんまのしっかりした目をしているし、意思がすごく強い口元ですね。この方お元気だわ。
ちょっと人と付き合うのが嫌いそうな感じもしますけど、添乗員の仕事をしていたら、人付き合いも上手になって、うまくいきますよね。私は脚本家で、仕事をするのも孤独でしょ。だから人付き合いがあまりうまくなくてしんどいんです。
記者 こういうしっかりした高齢者は、あんまりいらっしゃらないんですかね。
橋田 多くの人は、高齢になると目がとろんとして口元にしまりがなくなってきます。この方は、そこがしっかりしている。地方で一人暮らしをしているお百姓さんの中にも、こういう方が結構いらっしゃいますね。この方は意思が強そうだから、「安楽死したい」というのはよく分かります。
記者 オランダで取材していて、安楽死をサポートする団体のボランティアをしている方からうかがったことなんですが、安楽死という選択肢があるということで、かえって気が楽になって生きる気力がわく患者も多いそうなんです。
橋田 そうでしょうね。「本当につらくなった時にはいつでも死ねる」という保険がある感じで。
記者 橋田さんから感じるのは、生き切っているから、この世にもう未練がなさそう、ということです。
橋田 そうですよ。もうすっきり。人の倍働きましたから何の未練もありませんね。でもやっぱり、旅行はしたいんですよ。これまでは、ひとつ脚本を書き終わったらすぐ次の仕事が入って、客船に乗ってる間もずっと書き続けてきました。
この間、南極のクルーズの時には、初めて仕事を持たないで乗ったの。幸せでしたよ、いろんな人と一日中、べらべらおしゃべりしたり、お茶ばっかり飲んだりしていました。ショーも映画も見ました。これまでは見たことなかったのに。
記者 それだけ一生懸命仕事をされたら、未練もなくなるんだろうな、と思います。死に方を考える時にも、その前提として、まず「生き方」の問題が出てくるのではないでしょうか。オランダで、戦争体験によるPTSDに苦しめられながら懸命に生きてきた人が、寝たきりになったのをきっかけに、96歳で安楽死した話を取材した時にも、そのことを強く感じました。
橋田 GLOBEの記事で読みましたけど、すごく印象的でしたね。
記者 息子さんによれば、親子の仲がしっくりいかない時期もあったのですが、安楽死できることが決まったことで、初めて親子で腹を割って話す機会ができたそうです。それで初めて、父親も息子に自らの戦争体験を伝えることができたし、息子もようやく父親の苦しみを理解できた。
それだけがんばって生きてきたからこそ、この人が「安楽死」を選んだということも納得できるし、安楽死という仕組みがなかったら、戦争体験を伝えることもできなかったと思うんです。
橋田 「もう安楽死するんだ」という精神的な安らぎがあったから、そういうことをしゃべることができたんでしょうね。
記者 「人間の本来の遺伝的寿命は55歳ぐらい」という説を唱える生物学者もいます。おまけと言ってはなんですけど、心身が衰えてからも生きる期間が長くなったので、人の死に方も変わってくるんじゃないかなと思います。そういう中で、「安楽死」も自然な形で浮上しているのではないでしょうか。
橋田 私が、自分の死について考えるようになったのは、自分が弱ってきてからですね。元気なときは死ぬことなんて考えません。
戦時中はいろんな人がまわりで死んで、夢も希望もなかった時代です。生き延びたのは「もうけた命」だったんですね。だから何でもやってやるわ!と。シナリオライターになるなんて夢にも思ってもいませんでした。
なりゆきのうちになっちゃったんですね。思いがけなくいっぱい生きられてよかったので、あまり生に執着がないですね。生き残ったんだから、ちゃんと生きなきゃいけないという気持ちと、何やったって、死ぬことよりは怖くないという気持ちがありますね。
記者 ただ、本人がこの世に未練がなくても周囲の人はどうかな、と。オランダで、妻が認知症になって安楽死した旦那さんを取材したんですが、奥さんの思い出話をしながら、突然涙をボロボロ流し始めるんです。あんな泣き方って初めて見ました。
夫婦仲がすごくよかったみたいで、自分を残して妻が安楽死したことについて、いまだに気持ちの整理がつかない様子でした。人間が死ぬっていうことは、なかなか一人だけで完結しないな、と思いましたね。
橋田 私は64歳の時に60歳の夫を見送りましたが、本人にはがんの告知をしないまま、1年間一緒に過ごしました。
記者 「告知しない」というのは、橋田さんご自身で判断したのですか。
橋田 そうです。すごく神経質な人だったから、最後まで「死ぬ」とか言いませんでした。もし手術して治るなら言いますけど、お医者さんが「もう治療はだめだ、余命半年だ」と言っているときに、本人に言えます?
それで本人が生きられますか?そんな残酷なことないですもん。最後にお医者さんが「もう1週間ぐらいで亡くなりそうだ。会いたい人もいるだろうから、本人に言ってあげたほうがいいんじゃないか」と言いましたけど、私は「絶対言いません」と貫き通しました。
でも、今から考えるとエゴイズムだと思っています。毎日毎日、「もうすぐ死ぬ」という人といるのは辛いじゃないですか。相手をだましていると自分もだまされちゃうって、「この人病気じゃないわ」という気になる。自分もついでにだまして、本当に明るくしていましたね。
記者 今のがん医療では原則として余命はともかく、がんの進行度については本人告知します。それについては?
橋田 言わない方がいいと思う。治療して治るとか延命できるならいいが、そうでないならいやですよね、私は。自分の気持ちしか分かりませんけど、もしも私がそういう病気だったら、言ってもらいたくない。知らないで死にたい。
だから安楽死をする時にも「この薬を飲んだら死にますよ」と言われても飲めない(笑)。楽に死ねる注射を打ってもらわないと。
記者 注射も怖いんじゃないですか。
橋田 だから眠っている段階にやってもらいたい。これを打ったら死にますよ、なんて言って欲しくない。知らないうちにやって欲しいんです。
記者 オランダの安楽死では、自分で薬を飲むにせよ、注射を打ってもらうにせよ、直前に本人には言いますよね。最終的な意思確認の必要もありますから。
橋田さんは安楽死する前に、誰かにお別れを言わなくてもいいんですか?
橋田 お別れをいいたい人なんていませんもん。私の場合、特別ですね。ほんと、見守ってもらいたい人もいないし。面倒くさい。いらない。もう、独りでたくさん。お医者様と、お金で雇った心の通じ合う、未練のない、ビジネスライクに看(み)てもらえる人がそばにいてもらえれば、それでいい。
施設に行って色々な人と一緒になって寝る、っていうのもイヤなんですよ。個室でも寮みたいな所はイヤなの。今までいっぱい人と付き合ってきて疲れました。もう、人に会ってにこにこしているのはたくさんです(笑)。