横浜から来た小学生らに震災当時の状況を語る田村孝行さん。長男の健太さんは七十七銀行女川支店の行員で、避難した屋上で津波に襲われた。妻の弘美さん(中央左)は「一日一日を大切にしてほしい」と訴えかけた=10日午後0時58分、宮城県女川町、矢木隆晴撮影
「地震が来たら、自分の命は自分で守ってほしい」――東日本大震災の津波で長男、健太さん(当時25)を亡くした田村孝行さん(57)=宮城県大崎市=が10日、女川町でサッカークラブの小学生ら約20人に語りかけた。
健太さんは七十七銀行女川支店に勤務中、震災に遭遇。上司の指示で屋上に避難し津波に襲われた。12人が犠牲になり、8人は行方不明のままだ。
支店があった近くの慰霊碑で毎週末、震災当時の状況を語る活動を続けて約5年半になる。妻の弘美さん(55)は「ここに来たら息子に会えそうな気がする」と話す。「生きたくても生きられなかった命がある。夢に向かってがんばって欲しい」と訴えかけた。
子どもたちを引率する、大豆戸FC(横浜市)の末本亮太代表(39)は「自分で考える力を養ってほしい。スポーツマンだからこそ、人間性を高めていきたい」と話す。
日航ジャンボ機墜落事故の遺族で作る「8・12連絡会」の美谷島邦子事務局長も慰霊碑を訪れ、手を合わせた。ともに企業防災を訴え、墜落現場の御巣鷹の尾根に慰霊登山するなど交流を深めている。鎮魂の願いを込めてシャボン玉を飛ばした。弘美さんは「きっと息子にも届いていると思う」と涙ぐんだ。(矢木隆晴)