中日劇場の思い出を語る加藤登紀子さん=東京都渋谷区、小玉重隆撮影
名古屋・栄の中日劇場が25日、52年の歴史に幕を下ろす。歌手の加藤登紀子さんは、観客とお酒を楽しみながら歌う「ほろ酔いコンサート」を30年以上、中日劇場で続けてきた。閉場を前に思い出を語ってもらった。
中日劇場
中日劇場 名古屋・栄で1966年5月開場。スーパー歌舞伎、宝塚歌劇、「レ・ミゼラブル」「屋根の上のヴァイオリン弾き」などのミュージカル、「放浪記」などの一般演劇、お笑いなど多彩な演目が特徴だった。劇場が入る中日ビルの建て替えに伴い、3月25日で閉場となる。
楽屋は畳、お茶いれてくれたおばちゃん
中日劇場はホールと客席との一体感がいい。ステージが珍しく曲線で、両手を広げると、客席が手の中に入ってくれるような。時を経ても古びた感じがせず、最初から貫禄のある、どっしりと身を委ねられるホールだった。
劇場って時を経ると良くなっていく。海外は100年、200年と古い劇場がそのままあって、「この建物は100年前の音楽を聴いてたんだ」とかね。
長い間やっていると、若い人も、相当上の年代の人も来てくださる。90代の人が「いつも自転車で来るけれど、ついに息子が許さなくなって、きょうは車で送ってくれた」と公演後に話しかけてくれることもあった。毎年必ず来てくれた方が病気で倒れた時は息子さんが連絡をくださって、応援の色紙を送った。翌年、「お世話になりました」といらっしゃって。「よかった。生き延びたのね」なんて抱き合うこともあった。歴史ですね。本当にいとおしい。
昔ながらの芝居小屋の雰囲気が残っていた。楽屋が畳で、楽屋の詰め所のおばちゃんがお茶をいれてくれた。「昭和な感じ、古い」なんて言われるかもしれないけれど、それがすごく良かったのよ。それは伝えたい。
今では珍しく、裏方のスタッフ…