宮内庁が公開した大山古墳の測量図。内濠の深さがカラーで表示されており、色の濃い部分が墳丘の裾=「書陵部紀要」第69号陵墓篇(へん)から。宮内庁書陵部提供
国内最大の古墳・大山(だいせん)古墳(仁徳陵古墳、全長約486メートル)=堺市=は造営時、全長525メートル以上だったことが分かった――。宮内庁がデジタル公開した「書陵部紀要」の中で、そんな研究論文を掲載した。
【特集】百舌鳥・古市古墳群
皇室伝来の資料や陵墓(天皇や皇族の墓)・陵墓参考地を管理する宮内庁書陵部には、歴史学や考古学の専門職員が配され、調査研究の成果は毎年刊行される「書陵部紀要」で公表されてきた。発行部数が限られ、とくに関心が高い陵墓の発掘調査や測量の報告は数年分が「陵墓関係論文集」にまとめられ、2010年までに計7冊が刊行された。
最新号には大山古墳の測量のほか、「卑弥呼の墓」との説もある奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳で出土した埴輪(はにわ)や土器に含まれる砂の観察結果などが掲載されている。
大山古墳の内濠(うちぼり)測量を巡っては、音の反響によって水深を測る装置を船に搭載し、得られた水深のデータを全地球測位システム(GPS)の位置情報と組み合わせて3次元化した。水中に残る墳丘の裾部分が確認でき、濠の底で測った古墳の全長は約525メートルだったことが分かった。造営当初の全長はさらに大きくなりそうだ。
箸墓古墳で出土した特殊器台や円筒埴輪、壺(つぼ)形埴輪の土に含まれる砂礫(されき)(砂や小石)については、奥田尚(ひさし)・奈良県立橿原考古学研究所特別指導研究員が分析した。顕微鏡で観察して表面に含まれる砂礫を調べた結果、後円部で出土した特殊器台や円筒埴輪など54点は、そのすべてが吉備(現在の岡山県)の総社平野の砂礫を含んでいた。一方、前方部出土の壺形土器と壺形埴輪26点の砂礫は、地元の桜井市内のものと推定できると論じた。後円部に被葬者の埋葬施設が設けられているとみられ、被葬者と吉備との強い関係がうかがえる。
世界遺産登録を目指す大阪府羽曳野市の古市古墳群の墓山(はかやま)古墳(全長約225メートル)では、墳頂部にある長持(ながもち)形石棺(がたせっかん)のふたの破片(長さ約1・65メートル)の写真や図面を公開。古市古墳群で最初に築かれたとみられる藤井寺市の津堂城山(つどうしろやま)古墳(全長約208メートル)で明治時代末に出土した長持形石棺と同じような格子状の模様があるという。
紀要は、宮内庁トップページ(
http://www.kunaicho.go.jp
)の「皇室に伝わる文化」からリンクされる「書陵部所蔵資料目録・画像公開システム」で公開される。(編集委員・今井邦彦)