関東インカレ1部男子200メートルで優勝し、石沢隆夫杯を手にした山下潤
過去の名選手の名が刻まれたカップを手にするのが、王者の証し――。
先月27日まで神奈川・相模原ギオンスタジアムで開かれた陸上の関東学生対校選手権(関東インカレ)の話。男子1部200メートルの優勝者には「石沢隆夫杯」が贈られた。
早大時代に同大会の200メートルで1972年から3連覇し、100メートル手動計時の日本記録(10秒1)保持者でもあった石沢さんにちなんだカップだ。石沢さんは卒業後、朝日新聞のスポーツ記者として筆をふるい、福岡国際マラソンのレースディレクターとして活躍していたが、昨年7月、65歳で亡くなった。
今年の関東インカレで、その石沢隆夫杯を手にしたのは山下潤(筑波大3年)だった。
6・7メートルの追い風参考だったが、20秒31で初優勝した。2016年のU20世界選手権200メートルで8位に入賞し、東京五輪に向けた日本陸連の若手育成プロジェクト「ダイヤモンドアスリート」にも選ばれた逸材。レース後は「父も前に勝っている大会なので勝ちたいと思っていた」。
山下の父は三段跳びの日本記録保持者、訓史(のりふみ)さん(55)。訓史さんが86年にマークした17メートル15はいま、“最古”の日本記録となっている。潤の兄航平(ANA)はリオデジャネイロ五輪三段跳びの代表。妹の桐子(筑波大1年)も三段跳びに取り組む、まさに陸上一家だ。
「父と兄のアドバイスは基本的に聞きません」と言って報道陣を笑わせた山下は、「僕も高校(福島高)までは三段跳びもやっていたんですが。ジャンプは技術が大事で難しいですね。僕一人スプリンターで頑張ります」。
記者が山下に石沢さんのことを告げると、さすがに「存じ上げませんでした。亡くなられたんですか……」。
これまで世界選手権や五輪でメダリストになった藤光謙司(ゼンリン)、飯塚翔太(ミズノ)、山県亮太(セイコー)、桐生祥秀(日本生命)ら、現役のトップスプリンターも手にしてきた石沢杯。現在も200メートルを主戦場にしている藤光や飯塚に対し、山下は「今年は肩を並べるくらいになりたいと思います」と目標を語った。(堀川貴弘)