(2012年決勝 光星学院0―3大阪桐蔭)
一回、光星学院(現八戸学院光星、青森)の攻撃。大阪桐蔭の藤浪晋太郎(阪神)に3球三振を喫した3番の田村龍弘(ロッテ)が、三塁側ベンチに戻って嘆いた。「無理や」。監督の仲井宗基が「無理言うな」と苦笑しながらたしなめる。しかし、三者凡退に抑えられた藤浪の投球を目の当たりにし、仲井自身も脱帽していた。「付け入る隙がないな」、と。
光星学院―大阪桐蔭 九回表光星学院1死一塁、北條は二飛に倒れる。投手藤浪、捕手森=諫山卓弥撮影
2012年夏、第94回大会決勝は史上初めて春の選抜決勝と同じ顔合わせとなった。
光星は中京商(現中京大中京、愛知)、PL学園(大阪)に続き3校目の3季連続決勝進出。前年の準優勝チームでも主軸だった田村と4番の北條史也が3年になり、青森では「史上最強」の呼び声も高かった。
「春に負けているから、絶対に勝ってやるという気持ちしかなかった」と北條は振り返る。もう一つ、対抗心を燃やす理由があった。光星はベンチ入り18人のうち北條を含めた7人が大阪出身。北條も浅村栄斗(西武)らを擁して全国優勝した大阪桐蔭に強く憧れていた。縁が無く進学を諦めた大阪桐蔭を見返すチャンスが、甲子園の決勝という最高の舞台で回ってきた。「大阪桐蔭に勝って、光星学院に入ってよかったと思いたかった」
最後の夏。甲子園で北條は絶好調だった。準決勝まで16打数8安打。本塁打は、当時の大会記録にあと1本と迫る4本を放っていた。準々決勝の桐光学園(神奈川)戦では好左腕の松井裕樹(楽天)から長打を放ち、「野球人生で一番」という状態で決勝までたどり着いた。
選抜の決勝は3―7で敗れたとはいえチームは藤浪から12安打、北條も2安打していた。楽観してはいなかったが、打席で相対した右腕は球威も制球力も想像以上の成長を遂げていた。
阪神の北條史也=小林一茂撮影
二回無死、北條の第1打席。初球の150キロにフルスイングで空振り。2球目の150キロにもバットは空を切った。力勝負にスタンドが騒然とする。最後は外寄りのフォークに動けない。3球三振。「フォークとわかっていても打てなかった。こんなにいいのかって驚いた」
それでも、四回の第2打席は手応えがあった。外角の変化球に少し泳いで中飛だったが、フェンス近くまで打球が飛んだ。藤浪の顔に一瞬、「そこまで飛ばすか」というような苦笑いが浮かんだ。「次は打てる」。北條に、そんな思いが芽生えた一打だった。
しかし、チームが3点を先行された後の七回の第3打席で力の差を痛感する。外角の厳しいコースをファウルで粘るも、8球目の高速スライダーに空振り三振。「(藤浪の)ボールについていく北條君のスイングスピードも素晴らしい」とテレビの解説者は北條のファウルを評したが、本人の意識は「完敗」だった。「ファウルにするのが精いっぱい。最後のスライダーは直球の軌道からボールが消えた。無理やと思った」。クールな北條が、珍しくバットを地面にたたきつけて悔しがった。
閉会式で行進する(前から)主将の田村、北條ら光星学院の選手たち
前日の準決勝で完投した藤浪の球威は、尻上がりにすごみを増した。「高めに浮いた直球を狙おう」と意思統一していたが、150キロ前後の速球は次々と低めに決まる。手詰まりの仲井は「中盤からは狙い球の指示も出しにくかった」。
九回、田村が詰まりながらも中前にチーム2本目のヒットを放った。打席に向かう北條に、「思い切り打ってこい」と仲井が声をかけた。北條は直球に狙いを絞り、藤浪も全力投球で応戦。1球目は150キロ、2球目は152キロ。2ボールからの3球目、151キロは芯に当たった感触が手に伝わった。だが打球は失速。二飛。「力負けだった。あのメンバーで野球をやるのも最後だと思って泣きそうにはなったけど、負けた悔しさはほとんどなかった」
東北勢で春夏合わせて10度目の決勝への挑戦だったが、またもやはね返された。「僕らの代でチャンスはあったけど、あの決勝で『優勝したい』という気持ちがもっとあれば勝てたかもしれない。その気持ちが足りなかったのかもしれない」と北條は言う。100回大会へ、みちのくの夢は続く。(波戸健一)
阪神の北條史也=小林一茂撮影
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ほうじょう・ふみや 1994年、堺市生まれ。光星学院では1年秋から遊撃手でレギュラー。3年夏の甲子園で歴代3位タイの4本塁打。2012年秋のドラフト2位で阪神に入団。